松戸市  伊勢丹松戸店⑰

松戸市      伊勢丹松戸店

さようなら伊勢丹松戸店 雨の中別れを惜しむ多くの市民

伊勢丹松戸店(松戸市松戸)が3月21日、43年の歴史の幕を閉じた。

市内初の大型百貨店として1974(昭和49)年に本館、1995年に新館がオープンした同店。閉店にあたり1月17日から閉店イベント「ご愛顧感謝ファイナルフェスタ」を開催してきた。閉店後は雨の中、店舗前に多くの市民が集まり別れを惜しんだ。

松戸市は1960年代から東京のベッドタウンとして人口が急増、商業振興を重視した市は松戸駅西口再開発事業に着手、同店が入居する「松戸ビルヂング」は中部小学校を郊外に移転させて建設。同ビルを開発した三菱地所の協力で同店を誘致した。

ライフスタイルの変化で百貨店の売り上げが減少する中、同店も例外ではなく、2016年に同店の閉店を検討していることが明らかになった。市は支援策を検討していたが同市議会が否決、同店の閉店が決定した。

閉店後セレモニーが開かれ、同店に関わりのあるミュージシャンが「I.M.T Familia(アイ・エム・ティー ファミリア)」名義で制作した伊勢丹松戸店クロージングソング「With The Music」の演奏を披露。同店店長から市民への感謝のスピーチで締めくくられた。

市民からは「子どもの頃、親に連れられて行った時にお菓子やおもちゃでワクワクしたことを思い出す」「毎年屋上のBBQビアガーデンは楽しみにしていた」「松戸市のランドマークが消える」など閉店を惜しむ声が聞かれた。

松戸市議会「効果が期待できない」 伊勢丹松戸店撤退後の中心市街地活性化策

松戸市が打ち出した伊勢丹撤退後の中心市街地活性化策について、松戸市議会はこのほど、「効果が期待できない」として大部分を承認しない方針を固めました。

松戸市は伊勢丹撤退後の中心市街地の空洞化を懸念し、スポーツの体験イベントや音楽ライブの開催などを盛り込んだ中心市街地緊急活性化事業を打ち出し、来年度予算案に2億8千万円を計上しました。しかし、松戸市議会は対策の必要性は認めたものの、まつど自民のほか、市民クラブや政策実行フォーラムなどが、「効果が期待できない」、「具体性が見えない」「準備不足が明白」などと反発。計画のうち地元と連携して開催する市場や屋台村などを除く、大規模イベントや無料巡回バスの運行など合わせて2億9百万円分を認めない方針を固めました。大部分が削除された中心市街地緊急活性化事業などを含む松戸市の来年度予算案は、3月23日の本会議で正式に決まる見通しです。

百貨店の伊勢丹松戸店(松戸市)が21日、閉店した。同市に残る最後の百貨店としてJR松戸駅前のにぎわいをけん引し、街のシンボルとして親しまれた同店には最終日、別れを惜しむ多くの買い物客が殺到。43年11カ月の歴史に幕を閉じた。

同店は1974年4月に開店。地上11階、地下1階の本館と、95年にオープンした地上9階の新館からなり、売り場面積は約3万1千平方メートルを誇る。

ピーク時の96年度には336億円を売り上げたが、郊外型ショッピングセンターの進出やインターネット通販の拡大などで消費者の買い物スタイルが変化し、昨年度は181億円まで減少。近年は同店の撤退を心配する声が上がっていた。

市はフロアの一部を賃借して市機関を移転する救済策を考えたが、議会の賛同を得られず、昨年9月、三越伊勢丹ホールディングス(HD)が同店の閉店を発表した。

最終日、買い物客で混雑する店内=21日、松戸市の伊勢丹松戸店
この日は、冷たい雨が降りしきる中、最後の開店を待つ約千人の行列ができ、急きょ、開店時間が10分早められた。

近くで生まれ育ち、開店当時から同店を知る女性(49)は「小学校卒業式の服を買ったのが思い出される。地域密着の地元のデパートがなくなるのは寂しい」と残念がった。

橋淳央店長は閉店にあたり「買い物の場を提供できなくなることに社会的な責任を感じる。胸が痛む半面、ここまでかわいがってくれたことがうれしい」と話した。お客が店への思いを記した1万枚の「サクラカード」は松戸神社に奉納するという。

同店ビルは別の会社の所有で後利用は未定。市は新年度予算にテナント誘致の予算を計上して、街のにぎわいの維持を図りたい意向だ。