習志野市   ならしのNOW②

習志野市    ならしのNOW

 

原爆ゆるすまじ~被爆体験講話
2018年1月16日

習志野市では、平和活動の一環として習志野市原爆被爆者の会の皆さんの協力により、十数年前から小中学生に被爆体験講話を開催しています。
今回、実籾小学校6年生と大久保小学校6年生を対象に行われた講話に参加してきましたので、その時の様子をご紹介します。
講師は広島県広島市生まれで習志野市在住の小野英子さん(78)。
被爆~黒い雨に打たれ

小野さんは6才の時、爆心地から1.5kmにある広島市の自宅でお母様と一緒に被爆しました。家の下敷きになりましたが奇跡的に外傷はなく、お母様によって救出されたそうです。避難する途中で放射能を含む黒い雨に打たれ、急性放射能障害を発症するなど、被爆者としての人生を歩むことになりました。
小野さんは当時の様子を次のように語ります。
「原爆で一瞬のうちに壊滅してしまった町を逃げる途中、大勢の人たちが無言で皮膚を垂れ下げたまま歩く姿を見ました。水を求めて汚れた防火水槽にたどり着きながらも息絶えた人たちや、川の中の沢山の死体の生々しさを思い出します。」

さらにその時の心情を次のように話してくれました。
「悲しかったのは、隣に住むケンちゃんの助けてと言う声を聞きながらも、家の倒壊と火災でどうすることもできなかったことです。そして、8才の姉が小学校で被爆していましたが、姉を助けに行くと言った母を必死で止めたことです。姉は、身体中大火傷を負い、2日後、水も食料も与えられずに救護所で亡くなりました。中学の教師をしていた父は、生徒と作業中に爆心地近くで被爆しました。そして、全員が死亡しました。」
このような体験は、今でも大きな悲しみとして、小野さんの心の中で消えることはないそうです。小学生たちは初めて聞く原爆の恐ろしさに、声一つ立てず真剣そのものの面持ちで聞き入っていました。
原爆の威力とは

原爆投下後に発生したきのこ雲
原爆は過去にない破壊力を持ち、空中で炸裂して、熱線、放射線、爆風を発生させます。
・熱線の温度は、地表で3000~4000℃。
・爆風の風速は、440m/秒。
・原爆での放射線被爆には、原爆が炸裂したときの直線被爆と、黒い雨による放射性降下物被爆、救援のため被災地に入ったことによる残留放射線被爆などの間接被爆があります。放射線による影響は、被爆直後だけではなく、50年、60年経ったあとに発症することも少なくありません。
戦争はすぐそばに

広島原爆ドーム
小野さんは、さらに続けます。
「その日の朝、お餅5個を分けあって食べた仲の良い家族でした。それが一瞬のうちに破壊されてしまう。それが戦争です。世界中で起こっている戦火を見るとき、その下にいる人々のことを考えてください。どんな目にあい、どんな暮らしをしているか想像してください。戦争は、決して遠くにあるわけではありません。すぐ身近にあることなのです。」
最後に、小野さんは「ぜひ、身近な家族、友人を大事に仲良く暮らしてください。ありがとう、ごめんなさいを言ってください。ケンカしても仲直りしてください。平和活動は身近な所にあります」と話されました。
小野さんは、15才の時から被爆者であることを自ら明かして、原爆体験を次の世代へ伝える活動を始めています。これは原爆を体験して生き残った者の使命と考え、これからも身体の続く限り活動したいそうです。小野さんは今も、がんなどの病気と闘っていますが、小野さんからは一瞬一瞬を大切に生きている生命の強さと明るさを感じました。

今回の講話を聞いた小学生たちは、戦争の恐ろしさ、平和のありがたさを感じることができたと思います。そして私も、あらためて他者への思いやりと戦争への関心を持ち続けたいと感じました。

 

本日、習志野市津田沼自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

習志野市谷津 モリシア津田沼に行かれました。