習志野市   習志野高校創立60周年②

習志野市    習志野高校創立60周年

習志野のシンボル誕生  習志野高校は、昭和32年4月、県下2番目の市立高校として誕 生しました。当時習志野市は、昭和29年に市制施行をしたば かり。人口わずか3万人程度の小さな市にとって、高校開設は まさに大事業でしたが、そこには未来を担う立派な人材を育て るという白鳥義三郎初代市長の熱い思いがありました。  その白鳥市長が初代校長として白羽の矢を立てたのが、前 千葉県教育委員だった山口久太氏でした。山口校長は自ら優 秀な教員を集めるとともに、まだ無名の高校の入学案内を持っ て生徒集めに奔走しました。その熱意と情熱が実を結び、県 下最高という3倍もの応募者が集まりました。まだ校舎の建 築が間に合わず、津田沼小学校の旧校舎を間借りしてのスター トでした。 斬新な円型校舎  その年の8月、市役所前に建設中の円型校舎に引っ越し。そ して、11月5日、待望の校舎が完成し、当時の文部政務次官や 県知事の参列の下、盛大に落成式典が挙行されました。円型 校舎は、16角形のらせん状構造で、当時世界的にも非常に珍し いものでした。
校歌に寄せる思い  「校歌は習高の人の手で」という山口校長の希望で、山田継雄 氏が作詞したものです。山田氏は山形大学助教授の職を辞し て習高に着任した英語の教諭でした。校長は、校内新聞の創 刊号で次のように語っています。  「私共は、この険しい道を励まし あって前進している今日もこの習 志野の花薫る丘々にうつぼつ※と して、雲波がわいている。教師諸 君よ、生徒諸君よ、さぁ前進だ。」 ※うつぼつ…盛んに湧き起こるさま 習高魂の継承  市民の大きな期待を背負って歩み始めた習高は、設立間も なく女子バレー部が全日本選手権に出場。運動部が次々と全 国大会への出場権を獲得していきました。昭和37年には野球 部が甲子園初出場を果たします。また、現在日本一を誇る吹 奏楽部も発足し、全国での活躍を後押ししていきました。  ボクシング、サッカー、野球が全国制覇。その後も次々と「日 本一」になっていく習高の活躍は、目覚ましいものがありまし た。白鳥市長は期待を込めて「習志野の王冠たれ」と繰り返し 語り、また、山口校長は「踏まれても踏まれてもなお伸びる雑草 のように逞しく」と困難に立ち向かう精神を常々説いていまし た。その精神は、今も脈々と習高生の中に受け継がれています。 地域の皆さんに支えられて  創立当時全日制6学級、定時制2学級で始まった習高も、今 年で全日制24学級(定時制は平成26年3月閉課程)となってお り、卒業生は、2万人を超えました。  習高のこれまでの発展は、職員、PTA、習友会(同窓会)、後援 会の情熱と尽力、そして地域の皆さんの協力と愛情に支えら れてきました。創立当時の理想を忘れることなく、未来を担 う人材の育成を目標に、「習志野の王冠」としてこれからも「雑 草の如く逞しく」躍進を続けていきます

 

本日、習志野市津田沼自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

習志野市谷津 谷津保健病院に通院治療をされ戻りました。