習志野市   鷺沼城(さぎぬまじょう)

習志野市

鷺沼城(さぎぬまじょう)は現在の千葉県習志野市鷺沼付近にあった日本の城。

概要
鷺沼城は習志野市役所付近から300mほど南下した下総台地上の地点にある。これは西をかつての久々田村の、東をかつての鷺沼村の谷津田に挟まれて東京湾に向けて南西に向けて突出した舌状台地の先端部西より、すなわち久々田村の谷津田を南西に向けて流れる(現在は暗渠化)菊田川が台地の縁に迫る左岸の、関東ローム層の断崖上に位置する。築城時期は不明だが、吾妻鏡に見える、石橋山の戦い後に頼朝が兵を整えた鷺沼旅館をこの鷺沼城に比定する向きがあり、この説を容れれば築城時期は平安時代に遡る事になる。その後の鷺沼城に関しても詳細は明らかではないが、千葉郡誌に正応年間(1288年-1292年)に鷺沼太郎源太光義が拠りその墓が高台の南西部に築かれたとあり、本丸内の祠がその墓であると伝わる。
城跡に建つ昭和34年建立の石碑碑文によると、六百年前の正応年間に市川城主の里見氏と鷺沼源太満義ら下総の諸将が北条氏康と戦って敗れたとあり[1]、第二次国府台合戦に鷺沼氏の末裔が加わった可能性が考えられるが、内容がひどく混乱しており、また、前述の鷺沼太郎源太光義と読みが同じであることから、光義の事績が誤って伝わったものとも考えられる。

鷺沼太郎源太光義の碑
鷺沼城址公園
鷺沼城のあったとされる場所は現在鷺沼城址公園として整備され、一般に開放されている。同公園の敷地には鷺沼古墳群のA号墳とB号墳の2基の前方後円墳も位置しており、これらの古墳の発掘により埴輪などが出土している。武人と馬の埴輪のレプリカが飾られている。ここから発掘された埴輪は下総型円筒埴輪のほかに人物埴輪と馬の埴輪の破片が出土しているが小さな断片のみであり、このレプリカの様式であるかは不明である。

 

本日、習志野市秋津自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

習志野市谷津谷津保健病院に通院治療をされ戻りました。