市川市
入ったら出られない竹藪、触れるとたたられる木…全国に残る「禁足地」とは
「一度入ると二度と出てこられないという市川市の竹藪」、「その木の落ち葉に触れただけで祟られるという甲州市のホオノキ」など、平成の現代日本に、いまもなお「人々が畏怖し立ち入らない場所」が残されているという。
TBSの人気深夜番組「クレイジージャーニー」でもおなじみ、オカルト研究家で『禁足地巡礼』の著者である吉田悠軌氏は、そんな日本各地に残された「禁足地」を数多く訪ねている。
「足を踏み入れるのを禁じる地」と書く「禁足地」とはいったいどういう場所なのか? 祟りや心霊現象があるような怖いスポットなのだろうか?
吉田「『禁足地』とは宗教や信仰文化において、入ってはいけないとされる場所のことです。私有地・軍事基地・研究施設など現実的な理由による『立ち入り禁止エリア』と『禁足地』とは分けて考えた方がよいですね。
各地の禁足地は『祟りや心霊現象がある』と言い伝えられている、または昔はそう言われていた場合が多く、そういった意味で怖れられてはいました。
イタズラ者が入らないように恐怖によって制限する、という意味もあったでしょう。科学的検証によって証明できるような、本当の祟りや心霊現象があるかどうかは、私にもわかりませんし、誰にもわかりません」
吉田氏の著書によれば、禁足地には、「昔、神が降り立った場所」や「神事を行う場所」など、信仰上の理由から神聖視されている場所が多いという。奈良県大神神社の「三輪山」のように、山全体だったり岩や島、神社の一隅であったりするが、福井県の氣比神宮のように小学校のグラウンドにぽつりと社叢(しゃそう・聖なる森)が残されていることもあるとか。
◆「八幡の藪知らず」「初鹿野諏訪神社のホオノキ」の謎
一方、よく由来がわからないまま、言い伝えとともにずっと人々が立ち入らずにいる場所もある。
千葉県市川市の「八幡の藪知らず」は江戸時代から「入ったら二度と出られない」「竹藪を切り開こうとすると変死を遂げる」と言い伝えられてきたが、その由来は不明なのだという。
うっそうとした深い竹藪を想像しがちだが、「八幡の藪知らず」は車通りも多い国道に面した小さな竹藪だ。囲われた禁足地の向こう側が竹藪越しに見えそうなくらいの規模だが、いまだに「入ったら出られない」と伝えられている。
色濃く祟りの言い伝えが残るのは、山梨県甲州市、初鹿野諏訪神社に生えるホオノキだ。この葉で柏餅を作ってたべた集落が疫病と水害によって壊滅したとか、枝払いをした関係者が亡くなったなどの祟り話が存在し、現在でも枝払いはおろか落ち葉の掃除すら行われていない。少しでも触れればすさまじい祟りがあると信じられているからだという。
◆少なくなってきた“禁足地”
吉田「いま現在、『入ったら祟られる』とされる禁足地は総数として少なくなっています。かつてほどの信仰が弱まり、霊的なものへの怖れが薄くなったからでしょう。
あるいは現代的に『(史跡や文化財なので)公共ルールとして立ち入り禁止です』というような言い方に変わっているところもあります。
現代社会において、そうした言い方をせざるをえない事情もあるのかもしれません。
とはいえ少数ながら、いまだ濃密に『祟り』が怖れられているエリアも幾つかあり、そうした場所は独特の雰囲気を感じます。
私には霊感がないので、『祟りの気』みたいなものを感じているのではなく、『今なお多くの人々が怖れている場所だ』という事実から、ある種の緊張感を覚えてしまうのでしょう」
「禁足地」の総数はわからないが、減少していることは確かだとか。
また、女人禁制だった禁足地に女性も入れるようになったり、逆に世界遺産に登録されたことで、禁足が厳しくなった地などもあり、時代とともに移り変わりがあるという。
吉田氏がもっとも印象に残っている禁足地はどこだろう?
「この著書に際して取材した、福井県『ニソの杜』と、奈良県『神武天皇陵』です。
禁足地とその周辺地域における『場所』そのものの興味深さもある上、それらが辿ってきた歴史的経緯も非常に興味深いです。
また、もし行かれるとしたら、福岡県『沖ノ島』は、過去の現地大祭で上陸できそうだったのに叶わなかった経緯があるので、行ってみたい気持ちが強いです。
ただ大祭での一般人上陸がなくなった現在、よほどのことがなければ入島は許可されなくなってしまいましたが」
足を踏み入れてはいけない場所だが、近くまで行くことはできる。たとえば、千葉県の「八幡の藪知らず」なら、道路沿いに内部のほぼ全容を見ることができる。人々の恐れと畏れが同時に存在する雰囲気を味わうことができるのではないだろうか。