習志野市 史跡
住宅街に残る習志野市の史跡
このように、ベッドタウン都市として機能を果たす習志野市には古墳や遺跡といった歴史的名所や史跡も数多く残っています。実籾にある実籾3丁目遺跡は、主に縄文時代前期にあった集落跡で、縄文時代早期の遺構、中世の道路跡などが見つかりました。習志野市指定文化財として認定されたのは、4点の縄文土器で、このうち縄文時代前期前半期(およそ6千年前)だとされる3点は竪穴住居跡から出土しており、欠けが非常に少ないため、完全に近い形に復元されています。また、残りの1点は、炉穴ろあな(住居の外)から出土し、一部欠けてはいるものがあります。これらの土器の大部分は土器づくりの工程や文様のデザイン、文様のつけ方などを研究する上で重要な参考資料となります。
習志野市の軍事基地としての歴史
小金牧の大和田原(いまの千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)はかつて明治天皇御覧のもと、陸軍による演習が行われていましたが、後に習志野原と命名され陸軍の演習場となりました。その後、演習場の敷地は拡張され、現在の習志野市・八千代市の一部までに及ぶ広大なものとなり、これが後の習志野演習場です。陸軍習志野練兵場には日露戦争時に捕虜の収容施設が設けられ、ロシアの捕虜が、さらに第一次大戦時にはドイツやオーストリア、ハンガリーの捕虜が収容され使用されていました。昭和に入ると近隣を含めた範囲内に陸軍習志野学校や戦車連隊、糧秣廠の倉庫などが置かれ、松戸から津田沼まで引かれた演習路線はいまの新京成電鉄となっています。こうしてできた軍隊の街・習志野ですが、近年には旧日本陸軍軍用跡地に毒ガス弾が地中に残されている可能性が浮上し、いまだ船橋市・八千代市などにまでまたがる問題となっています。津田沼町周辺には軍関係施設が点在していました。軍施設は戦後に民用施設に転換され住宅地や教育施設、病院、工場として利用されはじめました。千葉工業大学津田沼キャンパスには鉄道第二連隊の表門の残存を観ることができます。
習志野市での暮らしについて
習志野市で生活する場合、ごみの収集は市で定められた規則に基づき、分別し決められた回収日にのみ出すことができます。粗大ごみについては、縦・横・高さいずれか一辺が50cm以上のものがされており、ものによって決められた手数料分のシールを貼り、回収を粗大ごみ受付センターへ依頼する形になります。一辺でも2mを超える大きなものや、引っ越しなどによる大量のごみについては、専門業者に処理を頼む必要があり、申し込みは1日1回5点まで回収を依頼できます。クリーンセンター内にあるリサイクルプラザは、気軽に楽しくごみとリサイクルについて学習できる施設で、さまざまなリサイクル体験教室などリサイクルを実践する場所として機能しています。また、粗大ごみで出された家具を再生したものを展示販売しています。
習志野市の公共図書館
習志野市内には5つの公共図書館と移動式図書館の計6つの図書館があり、京成大久保駅前の大久保図書館や新習志野駅前の新習志野図書館などがあります。移動図書館は市内17ある各ステーションを巡回する車の図書館で、雨の日は巡回しないことがあります。
開館時間
午前9時~午後5時まで
大久保図書館は木曜のみ午後7時まで開館(祝日の場合は午後5時まで)
東習志野、新習志野、藤崎、谷津の各館は土曜のみ午後7時まで開館(祝日のは午後5時まで)
休館日
月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日火曜日)
図書整理日:毎月第1金曜日(1月は4日(1月4日が月曜日の場合は1月5日)、5月は第2金曜日、2月は除く)
年末年始
蔵書点検のための休
本日、習志野市鷺沼自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
習志野市谷津 モリシア津田沼に行かれました。