船橋市  寮生活

船橋市

浪人時代の中村雅俊を奮起させた寮生活 田舎の優等生が「普通の学生」に〈dot.〉

慶應義塾大学在学中に演じることに興味を持ち、現在も俳優、歌手と第一線で活躍を続ける中村雅俊さん。現在発売中の「駿台予備学校 by AERA」(朝日新聞出版)では、500人の男子学生が共同生活を送る寮で過ごした浪人生活を振り返っている。

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「同じ境遇の仲間たちと過ごした1年間は楽しい思い出がいっぱいです」

中村雅俊さんは宮城県の出身。高校時代に思い描いた将来の夢は外交官。現役で合格した大学もあったが、東京外国語大学への進学を目指し、上京して駿台予備学校に入学することを決めた。

当時、駿台には入学試験があった。クラスは大きく分けて午前部と午後部の2種類あり、地方出身者が集まる寮に入るには、より難しいとされる午前部に合格する必要があった。

「不安もありましたが、なんとか合格できて、総武線下総中山駅(千葉県船橋市)にある中山学生寮への入寮が決まりました」

■周囲には自然と仲間が集まった

中学、高校時代はバスケットボール部に所属し、キャプテンとして活躍していた。駿台に入学してからも周囲には自然と仲間が集まった。

入学後は、下総中山駅からお茶の水に通う毎日が続いた。通学時の電車内には、楽しい思い出がいっぱいあるという。

「総武線の車内アナウンスで『次は小岩~、小岩~』と流れると、寮の仲間たちと、ピンキーとキラーズの『恋の季節』のサビ部分『恋は~、私の恋は~』をこっそり歌うのがはやっていた。満員時にこれをやると、ほかの乗客にけっこうウケました(笑)」

寮では約500人の男子学生が共同生活をおくるため、厳しいルールが設けられていた。ラジオとテレビは禁止、ギターなど楽器類の演奏も禁止、女性の来訪などはもってのほかだ。

「由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』が大人気で、禁止のはずなんですが、いつもどこかの部屋から曲が聞こえてきた。あの曲を聴くと、いまでも当時を思い出します」

中村さんが浪人生活をおくった1960年代後半は大学闘争の嵐が吹き荒れた時代。海外では、68年に人種差別に対する非暴力運動を唱えたキング牧師が暗殺され、69年にはアポロ11号が人類初の月面着陸に成功した。

「世のなかが混沌(こんとん)としていて、世界が激しく動いていたのに、私は判で押したような毎日を過ごしていた。だからこそ『俺は何をやらなきゃいけないんだ?』って将来を冷静に考えられた時期でもありました」

もちろん、本分である勉強にも励んだ。駿台での授業のほか、寮では毎日、授業の予習と復習を繰り返した。

1年後、中村さんは慶應義塾大学に合格。ESS(英語研究会)に入部して英語劇に出演したことから、演じることに興味を持ち、俳優を志すようになった。中村さんにとって駿台で過ごした1年間は、自分自身の認識を変える大きなきっかけになった。

「宮城県の田舎にいたころは、ちょっと頭がよくてスポーツができる優等生だったのに、駿台に入学したら『普通の学生』になってしまった。寮生の半分くらいが東京大学に進学するほど、優秀な人が大勢いた。そんな環境では『普通』になってしまうのも仕方がない。でも、駿台の仲間たちから刺激を受けたからこそ、『頑張ろう』という気持ちになれました。それこそが駿台でしか味わえない環境なんだと思います」