竹島への1953年韓国人上陸確認 海保、外交配慮し逮捕せず 元高校教諭が文書公表

日韓が領有権を主張する島根県の竹島を巡り、韓国の実効支配が始まったとされる1953(昭和28)年夏の海上保安庁の対応を記した内部文書の一部を、兵庫県の元公立高校教諭の男性がこのほど出版した著書で公表した。文書は、上陸が確認された韓国の漁民に対し、国交正常化交渉中などを理由に逮捕せず退去勧告にとどめた経緯などを記載。海保が非公開とする通達にも触れており、専門家は「日本が韓国の強行策を許した当初の状況がうかがえる貴重な資料」とする。(安藤文暁)

 文書は元高校教諭で島根県竹島問題研究会委員の藤井賢二さん(62)が約20年前、政府関係者が持っていた原本を複写したという。「昭和二十九年九月 だ捕事件とその対策 (秘)海上保安庁警備救難部公安課」と題した冊子で、53年5月に韓国人の上陸を確認し、国としての対応が協議された前後の状況を記す。

 文書によると、海保は上陸を法令違反とみて「(放置は)わが国の立場を不利にする虞(おそれ)がある」と判断していた。ただ、第8管区海上保安本部(8管)に取り締まり方針を伝えた同年6月17日通達に触れて「紛争はできるだけ避けることにした」とする。

 理由は「日韓会談開催中」に加え、逮捕の報復措置として「艦艇派遣による実力の行使あるいは朝鮮海域出漁中の日本漁船のだ捕等が予想される」と記載。53年2月には韓国・済州島(チェジュド)付近で日本漁船が捕らえられ、乗員1人が死亡していた。

 結果的に8管は退去勧告したが、韓国側が巡視船に発砲するなどして抵抗。藤井さんは、日本の対応を知った韓国が竹島問題への強硬措置を国会決議し、占拠に至ったと分析する。

 海保によると、文書は内部に現存していないが、通達は保管している。ただ、「他国との交渉上不利益を被るおそれがある」などとして非公開にしている。

 日韓問題に詳しい神戸大大学院の木村幹教授(比較政治学)は「当時は自衛隊もなく、米国が朝鮮戦争で支援する韓国に対して日本は強い姿勢を打ち出せず、実効支配を許してしまった。文書は当時の状況が分かる重要な資料だ」とする。

 藤井さんの著書は「竹島問題の起原 戦後日韓海洋紛争史」(ミネルヴァ書房・4104円)。

【竹島】島根県隠岐諸島の北西約158キロの日本海にある岩島。日本は江戸時代に漁などを行い、1905年の閣議決定で同県に編入した。太平洋戦争後のサンフランシスコ講和条約でも日本領として残ったと主張する。韓国は52年に設定した「李承晩(イ・スンマン)ライン」内に取り込み、警備隊を常駐させている。韓国名は独島(トクト)。2012年に李明博(イ・ミョンバク)氏が現職大統領(当時)として初めて上陸し、日韓関係が冷え込んだ。