二階氏は谷垣演説に涙 「対韓国生ぬるい」「細野問題」で青年局から批判も 自民党大会で見た党の異論と活力 2/12(火) 7:00配信

鬼門の“亥年選挙”安倍首相は必勝を誓う

2月10日、自民党は都内のホテルに約3500人の国会議員・地方議員・党員らを集めて党大会を開催した。安倍首相は演説で、「12年前(2007年)のいのしし年、亥年の参議院選挙はわが党は惨敗した。当時の総裁だった私の責任であります。このことは片時たりとも忘れたことはありません」と述べた。

その上で、2007年の参議院選挙の敗北が、2009年に民主党政権を誕生させたとして、「わが党の敗北によって、あの悪夢のような民主党政権が誕生した。決められない政治、経済は失速し後退し、低迷した。人口が減っていくんだから、成長なんかできないと諦めていた、あの時代に戻すわけにはいかないんです!」と語気を強め、「まなじりを決して、戦い抜いていく先頭に立つ決意だ」と春の統一地方選挙、夏の参議院選挙での必勝を誓った。

この安倍首相の民主党批判に関しては、石破元幹事長から「我々として現に戒めないといけないのは、ほら、あの民主党に比べれば良いでしょという、過去に終わった政権のことを引き合いに出して自分たちは正しいんだというやり方。私は危ないと思います」との批判も飛び出した。それでも安倍首相としては、負けられない選挙を前に、野党批判はあえて強調したかった点だったのだと見られる。谷垣氏の演説に二階幹事長は“涙” 「復帰・復活を期待」

党大会には毎年、特別ゲストが出席するが、今年は自転車事故で頚髄損傷の大けがをし、政界から身を引いた谷垣前総裁がスピーチを行った。

「世界のどこをみても大きな変動に見舞われています。わが国はその中で新しい道を切り開いていかなければならないと思います。わが国が新しい道を切り開いていくのは、自民党が今までの経験と、国民の間にどれだけ根をおろせるかと、さらに精進をして安定した政治を作っていくことではないか。病床にいながら、そのことをつくづく感じている毎日でございます」

2009年に民主党が政権を奪取し、自民党が野党に転落した苦しい時代に、自民党を総裁としてけん引してきた谷垣氏の挨拶に、会場では涙する人たちの姿も見受けられた。

また、党大会後に記者団の取材に答えた、二階幹事長は涙し、嗚咽しながら、谷垣氏が元気な姿で一般党員の前で演説できたことを喜び、「復活・復帰を私は期待している」と政界への復帰を引き続き期待していく考えを示した。谷垣氏は1983年8月の補欠選挙で初当選し、二階氏はその4か月後の12月に行われた第37回衆議院選挙で初当選をしている。二階氏としては、同じ時代を政治家として過ごしてきた“同志”としての思いが強く、最近も周辺に「彼には国に果たすべき責任がある」と谷垣氏ことを熱く語っていたとのことで、谷垣氏の演説に感極まったのではないかと言われている。

首相への登竜門“青年局長” 岸田氏「私の前は安倍首相です(笑)」

自民党は党大会に合わせて、前日に各種のイベントを開催している。もはや恒例となった自民党本部前の屋台村は、東京が降雪の予報となったことを受け、急遽本部内の食堂で開催された。

また若手議員らの会議なども開かれ、45歳以下の国会議員や地方議員などで構成する「全国青年部長・青年局長合同会議」には、第32代青年局長の岸田文雄政調会長、第41代青年局長の萩生田幹事長代行が、党執行部として出席した。この中で、普段は慎重な物言いの岸田政調会長だが、後輩たちを前にしてリップサービスする一幕があった。

「第4代青年局長は竹下登元首相、第5代青年局長は宇野宗佑元首相、そして第6代青年局長は海部俊樹元首相、こうした青年局長の先輩方が、その順番で総理大臣に就任したと。青年局長は(首相への)登竜門だから頑張れと、激励をしていただきました。この話を紹介した上で、ちなみに申し上げるなら、私の前の31代青年局長は安倍晋三首相であります(笑)、というとマスコミが少し喜ぶかなと(笑)」

自らがポスト安倍の有力候補であるとちゃっかりアピールしたこの発言に、会場からは笑いが起きた。さらに岸田氏は青年局長当時の思い出として、「昼間の会議は荒れに荒れて、ずいぶん突き上げられました。夜は一転して懇親会。大いに飲み上げて、盛り上がりました。私も、今と違ってあの当時、酒をいくら飲んでも酔うような気がしなかった。本当に有意義なひと時でした。今でもあの当時の思い出を振り返って、懐かしく思い、そうした人間関係を大事にして、今も仕事をしています」と述べ、永田町指折りの酒豪として知られる自身のエピソードも披瀝し、後輩たちへのメッセージとした。萩生田氏「青年局は党内野党で良い。時の執行部の顔色を見るな」

また萩生田幹事長代行は、自らが八王子市議、東京都議として経験を積んできたことを踏まえ、「私も政治の原点は皆さんと同じ、青年局・青年部の活動でした。このフロアで結構吠えていましたからね(笑)」と述べた。

その上で、東京都青年部長当時の逸話として、会議中に落ち着かず、頻繁に出入りを繰り返す若手国会議員に対して「全国の青年局のみんなは飛行機や新幹線を乗り継いで、1日がかりでこの会議に真剣に出ているんだ!選挙区と名前だけ言って帰るならもう入ってこなくていいから!」と、当時自民党所属だった現大阪府知事の松井一郎氏らと共に文句を言ったエピソードを披露。「私もそうだったように、皆さんも自民党の青年局は党内野党で良いんだと思います。時の執行部の顔色なんか見る必要は全くありません。それぞれ地域で、最も身近な国民、市民の皆さんに接している皆さんですから、その肌感覚を、ややもすれば、永田町の空気にだんだん染まってきてしまう我々に、生の声で伝えていただくことが青年局の大きな役割だ!」と後輩たちを激励した。

青年局「韓国の対応生ぬるい!細野問題はやめてほしい!」

この先輩の訓示が影響したのかは定かではないが、現在の第49代青年局長の佐々木紀衆議院議員は、この会合の後に開かれた、「青年部・青年局、女性局合同全国大会」で、安倍首相、二階幹事長が出席する中、執行部に向けて次のように要望した。

「レーダー照射事案をはじめとした、韓国への対応が生ぬるいのではないか。もっと厳しく政府には当たってほしいという意見もありました。また、いわゆる細野問題、静岡5区では我々の青年局の仲間が、野党の閣僚経験者(細野豪志氏)を相手に頑張っている、その努力をないがしろにするようなことはやめてほしいとの意見もありました。憲法改正の覚悟を持ってほしい、伝えて欲しいという意見も出ておりました。これらはいずれも党員の声、国民の声として、この場で執行部の皆様にお伝えしたいと思います。青年局は、時には党内野党として発言し、行動していきます。これができることも自民党の底力であり、活力だと思っております」

自民党大会にあたっては、こうしたプレイベントが前日に開催され、地方議員からの意見などを聞く機会が持たれている。党大会当日には、来賓の挨拶や党務報告以外にも、優秀党員や優秀組織、党勢拡大の特別表彰なども行われている。

ある自民党の重鎮議員は「自民党の強さは、地方組織の強さ」と語っている。過去には政権を失い野党に転落したことや、離党者が続出するなど苦しい時代もあったが、そのたびに這い上がってきた力の源泉は、こうした地方組織や団体だといわれると、「なるほどな」と思う所がある。安倍一強ともいわれる中、こうした地方組織が活力をもって、「永田町に染まらない」意見を伝えることの重要さも感じ取れる場だった。