習志野市 歴史
旧石器時代から弥生時代
習志野市内では、今から2万数千年前の旧石器時代から人類の痕跡が確認できます。このころは、かなり寒冷な気候だったようです。海面は現在より100メートル以上低く、東京湾は陸地でした。人々は一カ所に長期間住むことはなく、短期的な滞在と移動を繰り返しながら狩猟と植物採集により食料を得て暮らしていたと考えられています。谷津貝塚という遺跡の市立第一中学校周辺の地点で、この時代の石器や火をたいた跡が発見されています。
縄文時代になると、気候は温暖化していきました。人々は一定の場所に比較的長期間住み着くようになります。地面を掘りくぼめた竪穴住居で暮らしていました。市内では、縄文時代早期の花咲新田台遺跡をはじめとして、実籾3丁目遺跡・実籾霊園遺跡(前期)、藤崎堀込貝塚(中期~後期)、藤崎3丁目南遺跡(後期)などで集落の跡が見つかっています。縄文時代は、土器づくりがはじまった時代でもあります。遺跡からは縄文土器や石器など、当時の暮らしを物語る多くの遺物が出土しています。また、人々が食用にしたあとの貝を廃棄した貝塚が作られました。藤崎堀込貝塚は、貝塚の中でも規模の大きなもので、千葉県指定文化財(史跡)に指定されています。
弥生時代は、大陸から伝わった水稲耕作を中心とする農耕、鉄器・青銅器などの使用が始まり、支配者層が生まれ、各地域で政治的なまとまりができるなど、社会が大きく変わった時代ですが、この時代の遺跡は市内では今のところ確認されていません。


