松戸市 心臓カテーテルのトップランナー―三角和雄氏
勤務先、設備面だけで決定
米国ハワイでの開業医生活が3年目を迎える頃になると、日本から「そろそろ帰ってこないか」という声が、頻繁に三角和雄氏に届くようになった。
学校で銃乱射事件が起きたなどという報道に触れるにつけ、子どもたちの教育のことも考え、帰国の決断を迫られた。「米国でずっと働こうとは思わなかったですね。やはり日本人だし、(高齢の)両親のこともありました。親からも『日本の税金で医者になったんだから、どんな形にしろ、帰国するのが筋だろう』と言われていましたね」
三角氏は幼稚園から大学まですべて国立だったため、教育費はあまりかかっていない。「授業料は今より安かったですから、はっきり言ってタダみたいなものでした。確か年額1万6千円ぐらいじゃなかったかな。6年間で9万6千円。医学部卒業のとき、成績上位者に入って時計をもらったんです。それが10万円だったから、4000円もうけたことになります」
日本の大学から仕事のオファーも来ていた。しかし、三角氏が一番力を入れていたロータブレーターを使用するための環境がそこにはなかった。使用できる病院という条件で探したところ、千葉県松戸市の千葉西総合病院があった。ポストがたまたま空いており、当時の妻の実家の船橋市も近い。そこで大学のオファーを蹴って、同病院で働くことに決めたという。
手術室の三角氏
理想と程遠い現実
三角氏は実際に来てみて驚いたという。「建物は古く研修医もいない。それに医療法人徳洲会を設立した徳田虎雄さんの写真が院内に飾ってあるんです。なんだ、こりゃと思いました。徳洲会と知らずに来ちゃった。徳洲会の徳の字も書いてないから」
三角氏が帰国した1998年当時、徳田氏は衆院議員の議席を失っていたが、その後復活を果たすなど絶大な勢力を振るっていた。ロータブレーターの設備があるというだけの基準で働くことを決めたものの、いざ赴任してみると、理想とは程遠い現実に気が遠くなる思いをしたという。
千葉西総合病院の院長は、現在の徳洲会理事長の鈴木隆夫医師。彼も米国帰りで、別の病院で院長として働いていたが、米国帰りの三角氏が周囲と摩擦を起こすことを懸念し、徳田氏から命じられ院長に赴任したという。
「出身が福井県大野市で、私の母方の実家と同郷だったんです。よく話を聞くと、遠い親戚だったことも分かり、お互い言いたい放題。本音で話ができました」と三角氏。病院の環境には当初不満を持ちながらも、辞めることはなかった。
「時に協力し、時に衝突しながら、2人でやってきました。鈴木先生の存在は大きかったですね」。とことん困ったときには、誰かが助けてくれるものである。
本日、松戸市三矢小台自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
松戸市和名ヶ谷松戸リハビリテーション病院に
通院治療をされ戻りました。