千葉市 まちを歩けば、「縄文時代」の暮らしにあたる
博物館や史跡などに展示されている、縄文集落の復元や貝塚の地層断面。私たちが縄文時代の人々の暮らし、あるいは空気そのものを実感できるのは、そうやって貴重な資料が保存されているからだ。遺跡の「造形保存」を手がける世界的な第一人者、森山哲和さんの工房を訪れた。
考えてみれば当たり前なのだが、縄文時代の遺跡はすべて地中に埋まっていたものだ。それが掘り出され、博物館や史跡、公園に保存、再生されてようやく、私たちは縄文の息吹に直に触れることができる。研究や教育の普及のためにも、保存は極めて重要なプロセスなのだ。その保存技術の第一人者が、森山哲和さんだ。今回、小金井市にある森山さんの工房を訪れる貴重な機会を得た。
工房の前で、森山さんは温かく私たちを迎えてくれた。中に入るとまず目に入るのが、茶を点てるために切られた炉。茶室を設えたわけではなく、国分寺市にある恋ヶ窪遺跡の縄文人の生活跡を再現したものだ。縄文人の暮らしと現代の茶の湯が不思議につながる。
「利休も縄文を知っていたんじゃないか、と思うことがあります。利休は大阪の堺に生まれた。堺市には四ツ池遺跡という大きな遺跡がありますから」
■遺構自体や地層を三次元的に保存する
森山さんが実践し、考古学の分野に多大なる功績を残してきたのが「造形保存」だ。造形保存とは一体何か?
遺跡発掘では元来、「記録」が調査の中心だった。土器や石器、動物の骨などの遺物は取り出すが、それ以外は写真を撮り、実測図を残し、文章に書き起こすという二次元的記録に限られてきたのだ。しかし森山さんは、遺構そのもの、遺跡がある空間そのものを保存することの重要性を唱え、自らの力でそれを成功させてきた。本来なら即物資料として残せず消滅してしまう遺構自体や地層を「留消遺物」ととらえ、三次元的に保存する。それが森山さんの「造形保存」の概念だ。
「造形保存に取り組んだのは、伊皿子貝塚あたりが最初だったと思います」
伊皿子貝塚は東京都港区三田にあり、約4000年前、縄文時代後期の敷石住居跡と貝塚、加えて弥生時代中期の方形周溝墓なども発見された大規模な遺跡だ。NTTデータ三田ビルの建設に際して、1978年から1979年にかけて本格的に発掘調査された。
「この貝塚に適用したのは『接状剥離法』という造形保存技術です。『貝層』と呼ばれる貝殻の埋まった地層の断面を、ほぼ遺跡の端から端までまるごと剥ぎ取りました」
地層をまるごと剥ぎ取る? その方法は……。
「接状剥離を簡単にたとえるなら、巨大なサロンパスをペタッと貼って剥がす要領です。地層の断面に接着剤の役割を果たす特別な薬品を塗布、または散布して、ガラス繊維などでできたマット状のものを貼り付ける。それを剥がすと地層がぴったりくっついてくるわけです」
森山さんが剥ぎ取った伊皿子貝塚の貝層断面は、三田台公園と港区立港郷土資料館に展示されている。港郷土資料館内の断面は16mにも及び、開館当時、日本一といえるものだった。
造形保存にはもう1つ、「離状剥離法」がある。切り出すことの困難な遺構や住居跡などの型を取り、実物大の模型のように復元する方法だ。水子貝塚(埼玉県富士見市)の縄文住居内構造は、これによって再生された。
「造形保存で大切なのは『原位置再生』です。正確な実測に基づき、遺跡が発掘されたそのままの状態を完全に再生します」
造形保存と原位置再生は、考古学研究において極めて有用だ。接状剥離で保存された地層断面は、貝など埋まっているものだけでなく、土の粒子1粒1粒に至るまで鮮明に観察できる。人の手で地層を採集すると、どうしても表面を傷つけてしまうが、接状剥離ならば地中にあった綺麗な状態のままで取り出すことができるのだ。遺構を即物資料として残すことも重要だ。遠い将来、研究水準が格段に進化し、驚異的な新発見が生まれるかもしれないからだ。
「博物館などでの展示や収納にも便利なんですよ」と森山さんは、工房の中に立てかけてあった地層断面を取り出して見せてくれた。それは塩原湖成層(塩原化石湖の湖底に堆積した堆積物の地層)で、想像以上に薄く、まるで樹の皮のよう。確かにこれなら、丸めて収納することも可能だろう。
■独学で技術開発、世界の調査現場で活躍
驚くべきことに、森山さんは独学によってこの保存法を開発した。
「実はもともと絵画や造形など、美術を学んでいたんです。でも遺跡の多い九州出身ということもあって、子どもの頃から考古学が大好きでした。高校時代には、発掘現場に通って作業に混ぜてもらうようになったんです。岡崎敬(たかし)先生といった日本を代表する考古学者の方たちにも『坊や、こっちおいで』なんてかわいがってもらって(笑)、東京に出てからは岡本太郎さんとも交流がありました」
そして、「記録」が中心の遺跡調査に付加価値をと思うようになり、造形保存を考えるようになる。
「例えばミケランジェロは彫刻を彫るとき、石自体を切り出しますよね。遺構そのものを遺す造形保存の考え方は、それと共通しています。私が学んできた美術と考古学が結びついたんですね」
接状剥離で使用する薬品や道具の素材も、たった1人で研究を重ねた。薬品については、企業の研究所などにも通ったという。
「いろいろな企業の研究所に相談しました。造形保存について説明すると、多くの方が協力してくださいました。なかでもトンネルを掘削するときに使用する薬品がとても土と相性のいいことがわかり、それを基本の接状剤としています。でも土の状態は遺跡によって違いますから、それに合わせて毎回いくつかの薬品をブレンドしています」
すべては経験値から導き出される高等技術だ。「これ、今度のイスラエルでの発掘調査で使用する薬品のセットです」と、森山さんは工房の入り口付近にさりげなく置いてある一斗缶を指差す。
当然といえば当然なのだが、森山さんの造形保存は日本国内にとどまるはずもない。世界各地の発掘現場に請われ、さらに考古学だけでなく、地質学など自然科学の分野でも活躍している。アフリカの岩盤や砂漠の中の遺跡、保存が難しければ難しいほど「森山さんでなければ」と依頼を受ける。例えば神奈川県立生命の星・地球博物館の設立にあたってのこと。
「どうしても展示に入れたいと頼まれ、アフリカのジブチで50度の熱砂の中、原住民アファール族達にあきれ顔されながら保存した、トラバーチン。これがまったく取れなくて、一番苦労した作業だったかもしれません」
■日本最大級・加曽利貝塚の貝層断面も保存
日本全国、世界各地の造形保存に携わってきた森山さんだが、印象深い東京近郊の縄文遺跡を訊いてみた。第1は、やはり千葉県千葉市にある加曽利貝塚だ。
「日本最大級の貝塚で、昨年、貝塚として初めて国の特別史跡に指定されました。世界的に見ても最高峰といえる遺跡です」
加曽利貝塚では、約7000年前の縄文人の住居跡や、約5000年前の縄文中期から約3000年前の縄文後期まで続く貝塚が発見されている。北貝塚と南貝塚があり、森山さんは25年ほど前に南貝塚の貝層断面を接状剥離した。
「トレンチ工法で地層を溝状に掘り、両側の断面に接状剤を3回塗布して剥ぎ取りました。伊皿子貝塚もそうなんですが、貝層は貝の凹凸があるので非常に難しいんですね。剥ぎ取った両断面は、裏側が見えていますよね。だから、左右を入れ替えて置くとちょうど原位置再生できます」
こうして造形保存されたものは、南貝塚の貝層断面観覧施設で見ることができる。地層の中のトンネルを歩くような構造になっており、保存状態も大変良好。最大2mを超える厚さに堆積した貝殻を間近で観察できる。
続いては、港区虎ノ門、東京タワーのそばで発見された西久保八幡貝塚だ。
「名前のとおり西久保八幡神社の境内にあって、1983年に調査を実施しました。これも接状剥離です。焼夷弾も出てきて、崖っぷちみたいな場所での作業で大変でした」
西久保八幡貝塚は伊皿子貝塚より少し新しい約3500年前にできたもので、森山さんが剥ぎ取った貝層断面はやはり港郷土資料館に並んでいる。貝殻のほか魚や動物の骨も多く出土しているのが特徴だ。
最後は、東久留米市の新山(しんやま)遺跡だ。下里小・中学校の建設に伴い発掘された縄文時代中期後半の集落跡で、中学校の校庭に柄鏡形住居跡や竪穴住居跡などの遺構が保存され、出土した土器や石器は小学校内の新山遺跡資料展示室に展示されている。
■チバニアンの地層剥ぎ取りも予定
「新山遺跡は、40年ほど前に山中一郎先生によって調査・保存されたものです。それを昨年、再生しました。半年近くかかりましたが、その甲斐あって素晴らしい遺跡となっています。ディテールまで再現され、縄文人の生活が実感できます。これからの縄文遺跡発掘は、新山遺跡のようにどんどん詳細な調査が進み、何千年単位ではなく20~30年間といった世帯レベルでの縄文人の生活の再生も可能なのではないでしょうか」
森山さんは今年、「チバニアン」の地層剥ぎ取りも予定している。千葉県市原市にあり、地球磁場(N極・S極)が最後に逆転した地層の痕跡として大きな話題を呼んでいる。今後も数多の遺跡や地層が森山さんの手によって造形保存され、人類史・地球史の研究と教育普及を支えるのだろう。