松戸市   矢切の渡し

松戸市     矢切の渡し

 

公称地名等はいずれも「やきり」と清音で読むが、駅名、バス停留所名は「やぎり」と濁音になる。後述の歌謡曲『矢切の渡し』も「やぎりのわたし」と読ませているため、濁音で発音されることが多くなった。
地名については、戦国時代に起きた第二次国府台合戦にて、里見方が矢が切れ負けたことから「やきれ」→「やきり」→「やぎり」となった説があるほか、矢の飛び交うことことを嫌い、矢を切る。(矢はもういらない)という説もある。本土寺の過去帳に「妙心尼 文安四(1447年)丁卯三月ヤキレ」の記述ある。矢切神社の石塔に、元文五年(1740年)下矢喰村の記述がある。
江戸川の民営渡し舟である矢切の渡しがある。

 

千葉県松戸市の南南西に位置する。西部は矢切斜面林を境に江戸川堤沿いに農地が広がり、江戸川が東京都葛飾区との境界を形成している。矢切斜面林より東側は主に住宅地となっている。地域を南北につらぬく千葉県道1号市川松戸線は交通量も多く、商店街を形成している。北は小山、南は栗山に隣接している。 また山側の土地は縄文時代からの台地で地盤が安定している。一方で縄文時代の海進による海中部は一般的に地盤が良くない地区とほぼ一致している。周辺に国立国府台病院、国際医療福祉大学市川病院(旧:化研病院)、式場病院等の大病院が存在している。

 

矢切の地名は、江戸川の渡し舟として有名な矢切の渡しの由来でもある。江戸川をはさむ矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、現在も渡し舟が運航されている。渡船の料金は大人200円、子供・自転車各100円(2012年10月現在)。「房総の魅力500選」に選定されているほか、柴又帝釈天界隈とともに環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。
この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、観光用途に設けられたものではない。かつては官営だったが、その後民営となり、代々個人により運営されている。
この渡しが日本全国に有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。現在、矢切にはこの小説の文学碑が建立されている。また、矢切の対岸の柴又を舞台とする映画「男はつらいよ」シリーズの作中にもしばしば登場する。
現在は観光用途の意味合いが強いが、元々渡し舟という交通手段であるため、渡し場に多少の土産物屋がある程度で、特に観光地化されているわけではない(なお、上流側の水戸街道新葛飾橋へは約1km、下流側の千葉街道市川橋へは約3km離れている)。このため繁忙期や風の強い日などは、全区間モーターで運航される。
矢切側の渡し場は鉄道駅から遠いため、多くの乗客は柴又側から乗船し、往復利用している。2012年4月28日より京成バスが矢切側の渡し場付近に「矢切の渡し」停留所を新設、土休日に限り一日8往復のバス(松31系統)が矢切の渡し – 松戸駅間で運行を開始した。
2013年から「矢切観光案内所」が、上記「矢切の渡し」停留所に隣接する形で矢切風致保存会の手により開設され、矢切地区の歴史展示のほか、矢切地区産の野菜や、観光物産品が販売されるようになった。
運航時間:10:00 – 16:00
運航日:3月中旬から11月末日まで毎日、それ以外の期間は、土・日・祝日、帝釈天の縁日のみ運航 (荒天の場合は運休)
料金:片道 中学生以上200円、子供100円
位置情報:北緯35度45分34.1秒東経139度53分1.5秒