千葉市    千葉市の歌

千葉市      千葉市の歌

 

千葉市の歌は、千葉市歌をはじめとして、千葉市こどもの歌、千葉市民音頭、心の飛行船の4曲があります。
千葉市歌・・・市制が施行された大正10年(1921年)から8年後の昭和4年(1929年)に、市歌として制定されました。本市では、中学校の授業、成人式、特別市政功労者・市政功労者表彰式等の公式イベントで歌われています。作歌は、歌詞の募集で入選した落合栄一氏、作曲は、童謡「春よ来い」や「雀の学校」などの作曲で知られる弘田龍太郎氏です。
千葉市こどもの歌・・・本市の小学校で授業を通じて学習・歌唱されています。作詞は市原三郎氏、作曲は高梨桂二氏、校閲は楠原信一氏です。
千葉市民音頭・・・市制施行45周年を記念して、昭和40年(1965年)11月に制作されたもので、作詞は市原三郎氏、作曲は高梨桂二氏、校閲は第11~15代千葉市長の宮内三朗氏と初代教育長の楠原信一氏です。
心の飛行船・・・平成4年(1992年)の政令指定都市移行を記念して、千葉市の新しいイメージをアピールするためイメージソングとして制作されました。作詞は大津あきら氏、作編曲は三枝成彰氏、歌は斉藤由貴氏です。
千葉市歌
波路はるかに めぐる黒潮
豊けく拓く 天産の国
房総の野の 輝く都
見よ見よ見よ 滔々と新興の
文化の集い 吾が千葉市
亥の鼻山の 松風遠く
袖師ヶ浦の 寄せくる波に
語り伝うる 大治の昔
いまいまいま 溌剌と新しき
時代に立てる 吾が千葉市
朝霧はれゆく 寒川沖を
希望の風に 白帆をあげて
心あわせて 漕ぎゆく如く
ああ ああ ああ 玲瓏と建設の
意気高らかの 吾が千葉市

 

千葉市こどもの歌
くおしおめぐる 房総の
文化の千葉に 花と咲く
蕾だぼくら わたしたち
力を合わせ はげもうよ
袖しが浦の 友千鳥
よろこび うれい 分かちあい
あかるい歌と 夢の街
楽しい街をつくろうよ
世界を結ぶ 千葉港
東も 西も へだてなく
手と手をつなぎ わたしたち
仲よく 共に 進もうよ

千葉市民音頭
ハアー 山は亥の鼻 ハ コラショ
文化の森のネ ハ アリャアリャアリャサ
さくら散る散るナお茶の水ヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 中央公園 ハ コラショ
噴水見ればネ ハ アリャアリャアリャサ
玉とくだけて ナ 虹となるヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 七日七夜の ハ コラショ
祭りのたいこネ ハ アリャアリャアリャサ
花火 花火もナ 空に散るヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 松はみどりの ハ コラショ
稲毛の浜よネ アリャアリャアリャサ
夏も涼しやナ 汐干狩ヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 千葉で見せたい ハ コラショ
自慢の花はネ アリャアリャ アリャサ
大賀蓮ならナ 世界一ヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 銀杏いちょう散る散る ハ コラショ
千葉寺越えてネ ハ アリャアリャアリャサ
おいで鵜の森ナ 大厳寺ヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 遠い昔を ハ コラショ
加曽利の町にネ ハ アリャアリャアリャサ
偲ぶ 貝塚ナ 夢の跡ヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 殿は来たかと ハ コラショ
君待橋よネ ハ アリャアリャアリャサ
ほんに羽衣ナ 松がよいヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 廻るパノラマ ハ コラショ
展望台のネ ハ アリャアリャアリャサ
花の駅ビルナ 日本一ヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 千葉の港は ハ コラショ
入舟出船ネ ハ アリャアリャアリャサ
ドラや汽笛がナ こだまするよ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
ハアー 伸びる京葉 ハ コラショ
南へ北へネ ハ アリャアリャアリャサ
千葉は世界のナ 町となるよヨ ソレ
千葉はよいとこさ ドントコイドントコイ
(後ばやし)コーラスと囃子
よいよい町だよ まったくだ
だれでもかれでも やってこい
一度ですいたら 二度 三度
ハ ワッショイ ワッショイ ドドントナー