松戸市 上智大“初”箱根ランナーへ前進 外山正一郎「5年目に懸けた」
上智大初の箱根ランナーが生まれるかもしれない。13日に行われた予選会で個人136位に入った外山正一郎(4年)が関東学生連合チームに12番手で選出された。本来なら今春に卒業していたはずだったが、取得単位が足りずに突入した5年目でチャンスをつかんだ。常連校のようなスポーツ推薦がなく、トラックも持たない環境でどのように強くなったのか。箱根路に懸ける思いに迫った。
激戦から1週間。上智大勢として初めて関東学生連合メンバー入りした外山の姿は東京・代々木公園の織田フィールドにあった。4度目の選出となった近藤秀一(東大4年)と2人で練習するためだ。
「疲労もありますが、無理をしない程度に気持ちよく走れればと思います」
距離が延長され、ハーフマラソンとなった予選会。自己記録を1分23秒も更新し、上智大新記録で走破した体には思った以上にダメージが残っていた。8000メートルペース走+400メートル×5本の予定が、ペース走は6000メートルで切り上げた。
「今、無理をしても仕方がないので。まだスタートラインに立っただけですから」
体からのサインに敏感に反応し、体調に応じてプランを変える。妥協と紙一重だが、ほぼ一人で練習してきたからこその職人技。その繊細な感覚でここからの勝負に挑む。千葉・旭町中2年時から本格的に陸上を始めるも、東葛飾高2年時に1500メートルで新人戦県大会出場がやっと。本来は国立大を希望していたという。
「裕福な家庭ではなかったので、入学してラーメン店やTSUTAYAでアルバイト三昧。合宿費、陸上用品代に充てていました。多い時は月100時間以上」
勉強、陸上、アルバイト。次第に勉強に割く時間が減り、2年の秋には“5年目”が確定していた。しかし予選会に出場できるのは、ルール上4回までだ。
「3年生の時は左大腿(だいたい)付け根を痛めていて、エントリーしていなかったんです。無理をすれば走れたと思うし『走ってほしい』と言う先輩もいました。でも、いろんな方に相談して『5年目に懸けよう』と決めたんです」
だからこそ、負けるわけにはいかなかった。昨年の予選会は16人が選出される学生連合チームの20番手で落選。快挙の背中が見えていただけに、人目もはばからずに号泣した。今年はアルバイトをやめ、陸上と研究に没頭。OB会の支援もあって東大の夏合宿(8月上旬、北海道)で武者修行した。
「このままじゃダメかもと思って、たまに一緒に練習していた近藤に連絡したんです。そしたら、とんとん拍子に話が進んで。彼と一緒に2週間過ごして、生活や走りを間近で見られたことは刺激になりましたね」
ただ、精神面での充実とは裏腹に調子は上がらなかった。合宿最終日の20キロ走では近藤以外の東大生にも敗北。予選会前最後の実戦となった日体大長距離競技会(9月22日)1万メートルは腹痛で人生初の途中棄権だった。
「終わったなと思いましたね。でも、なぜか焦りはなかったんです。もう落ちるところまで落ちたので、ここからは上がるしかない、と根拠のない自信がありました」
開き直ると不思議と力が戻った。10月に入り朝練習をメインに調整。運命のレースで会心の走りを見せた。
「自分でもサプライズです。メンバー入りしたいとは思っていたけど、12番手は予想外。うれしい誤算というか、チャンスが広がりました」
今後、1万メートル記録挑戦会(11月24日)などでの選考を経て、10区間のエントリーが決まる。10番手の石井闘志(流通経大1年)とのタイム差は16秒。歴史に名を刻むべく、万全の準備をする。
「もう僕だけの陸上じゃない。大学初という自覚、非強化校の代表としての意地。そして、伸び悩んでいる選手に『ここまでやれるんだよ』というところを見せたい」
本来なら届かなかった大舞台。誰よりも苦しみ、支えられてきた。最後の恩返しは新春までとっておく。
◆外山正一郎アラカルト ▽生まれ 1995年7月25日、千葉・松戸市▽理系男子 理工学部物質生命理工学科。工業物理化学を専門としており、燃焼科学研究室で「RCM(急速圧縮機)によるガソリンサロゲート着火遅れ」などを研究している▽スケジュール 平日10~18時は研究。火、木、土は陸上部でまとまって練習するが、進捗(しんちょく)次第で参加できないことも▽関東インカレ 男子2部ハーフマラソンで16年59位、18年42位▽来春から三菱電機に 研究職ではなく営業職で採用。市民ランナーとして競技を続ける。▽アイドル好き 癒やしは乃木坂46の握手会。推しメンは齋藤飛鳥▽家族構成 両親と3歳下の弟▽サイズ 163センチ、46キロ