習志野市 歴史
近代
日露戦争と習志野
平成16・17年(2004-05)は、明治37・38年(1904-05)の日露戦争から100年になります。日露戦争と習志野市の関わりは深く、明治34年に大久保に騎兵旅団が設置され、この戦争で、秋山好古将軍率いる習志野騎兵旅団が大活躍したことは、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でよく知られています。しかし、戦後、習志野にロシア捕虜収容所があって、現在の実籾、東習志野の地に約15,000名の捕虜が暮らしていたことはあまり知られておりません。
今から27年ほど前に市史編さん準備委員として、故将司正之輔先生とともに調査に当たっていた、当時、習志野高等学校教諭の宇野武彦氏が、「習志野のロシア捕虜収容所」という小冊子をまとめました。しかし、宇野氏の転任や、その後、正式な市史編さんの担当が発足したときにその引き継いだ資料が眠ってしまったようで、広く知られる機会を失ってしまいました。そこで今回、日露戦争から100年という絶好の機会であり、日露戦争当時の習志野の様子を市内外の方々にも知っていただこうと、宇野氏の了解を得て全文をそのまま掲載することとなりました。
また昨年、ロシア大使館のV.A.プシュコフ総領事から、「日露戦争100年を機に、習志野はじめ各地に残るロシア捕虜の墓を、後世に伝えていただきたい。ロシア側ではシベリア抑留による日本人墓地を調査して後世に伝える。これをもって、日ロ間の新たな友好の礎としようではないか。」とのご提案をいただきました。戦争は不幸な出来事でしたが、捕虜となったロシア兵に人道と情をもって臨んだ明治の人々の姿に、両国民の未来への友情を見出していただければ幸いです。
つづく