船橋市 三者三様の意味を持つ「聖地」
この旧市街の中に、ユダヤ教徒にとっては「嘆きの壁」が、キリスト教徒にとっては「聖墳墓教会」が、そしてイスラム教徒にとっては「岩のドーム(アル・アクサモスク)」があるために、「聖地」と呼ばれているのです。
では、それぞれの歴史的建造物がどのような意味を持っているのか、順に説明していきましょう。
ユダヤ教徒にとってのエルサレム
エルサレムというとよく取り上げられるのですが、黒い帽子に長い巻き毛を垂らした黒づくめの人たちが、石造りの壁に向かってお祈りを唱えている、あの場所がまさに「嘆きの壁」です(彼らは超正統派と呼ばれ、ユダヤ教を学ぶことを生業としていて、生活費など一切は補助金によって賄われています)。
ユダヤ教徒にとって嘆きの壁とは、二重、三重の意味で宗教的に重要な建築物です。
ユダヤ人の祖先であるとされるアブラハムが神への忠誠を試され、息子イサクを殺すよう神から命じられます。そして、アブラハムが息子を殺そうとした寸前に、神はそれを制止して、アブラハムの神への忠誠がゆるぎないことが明らかとなったという場所が、現在の嘆きの壁がある「丘」であるとされています。そのため、紀元前1000年頃、イスラエルを統一し、エルサレムを首都としたダビデ王が、この丘に神殿を建設したのです。
その後、古代イスラエル王国はバビロニア軍に侵攻されて滅亡し、ユダヤ人はバビロニアに連行されます。滅亡から50年後にユダヤ人たちは帰還を許され、ふたたび同じ場所に神殿を再建しました。
けれども、ユダヤ人たちは新たな為政者であるローマ人に対して2度も反乱を企てたために、神殿は破壊され、ユダヤ人はエルサレムに戻ることが許されませんでした。ようやく紀元3世紀になって、エルサレムに戻ることはできましたが、神殿のある丘への立ち入りは禁じられ、神殿は再建できませんでした。
そのため、ユダヤ人たちは神殿の丘に廃墟のまま残されていた壁に向かって立ち、神殿が失われたことを「嘆き」つつ祈りをささげました。このことから壁が信仰の中心となり、「嘆きの壁」として知られるようになったのです。
本日、船橋市西船自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
船橋市金杉船橋市立医療センターに通院治療をされ戻りました。