船橋市   エルサレム

船橋市   エルサレム

 

増え続ける超正統派ユダヤ教徒
これはエルサレムに居住していた「熱狂的ではない」ユダヤ教徒(ユダヤ人)にも当てはまっていたようです。旧市街だけでなくエルサレム市に居住していたいわゆる「普通」のユダヤ人たちも、パレスチナ人との騒乱に巻き込まれたくないために、エルサレム市を去る人が多数現れたのでした。
さらにエルサレム市から近郊の市や町へ移る経済的理由もありました。熱狂的なユダヤ教徒(超正統派)には、納税の義務も兵役の義務もありません(兵役については法律改正の予定です)。エルサレムにこうした超正統派の人々が増え続け、ユダヤ人の人口の3分の1を占めるほどとなっていました。
超正統派の増加により、エルサレム市の財政は圧迫され、普通のユダヤ人たちが彼らの生活を支えるために、高い税金を払わなくてはならないという状況に陥っていました。

 

人口流出がなぜそんなに問題になるのかというと、この問題はたんなる「移転・転居」の問題として片づけられるものではないというイスラエルの特殊事情があるためです。
人口流出を食い止めなければ、エルサレム市全体では、人口増加率の高い、旧東エルサレムに住むアラブ人の割合が高くなってしまいかねないためです。イスラエル政府としてはエルサレムが「永久の首都」であることを証明すべく、この事態だけは阻止しなければならないと考えたようです。
政府はイスラエル人の多い近隣の町を吸収合併して、エルサレム市の境界線を変えたり、入植者を増やし(オスロ合意違反)、アラブ人の住居を破壊したりと、あらゆる手段を使ってユダヤ人の割合維持・増加に努めています。さらに、他の地域からのパレスチナ人の流入を防ぐべく、パレスチナ人の多い地区を悪名高い「分離壁(アパルトヘイトウォール)」で覆い、他の西岸地区と分断してしまいました。
一方、エルサレム市の高い税金と騒乱から逃げ出した普通のユダヤ人たちも、たまったものではありません。逃げ切ったと思ったのは束の間、彼らはまたエルサレム市民に逆戻りになってしまったのでした。
一向に解決に向かわない「聖地」エルサレム問題
実は、エルサレム問題はこれまで解決に向かったことはありませんでした。1994年のオスロ合意によって両者の関係が良好であったわずか数年間の間でも、その帰属と管理、つまり聖地を誰が管理するのか、そしてそれはどちら側のものなのかという問題は、他のすべての問題が解決した後に話し合う問題(最終地位交渉の一つ)として棚上げされたままでした。つまり、この時期でさえ、エルサレムについては、まったく何も決まっていなかったのでした。
このように、「エルサレムこそがまさに聖地である」と信じる人々にとっては、聖地はひじょうに重要な場所なのでしょう。熱烈な信者であれば、それは新たな血を流してでも守るべき場所なのでしょう。このことはエルサレムの丘が、アブラハムが息子を生贄にささげた丘であると想定された紀元前の昔から、2,000年間以上も続く争いからも明らかでしょう。けれども、そうでない者にとって「聖地」は複雑で不可解、かつ理解しがたい問題のままなのかもしれません。

 

本日、船橋市田喜野井自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

船橋市豊富町セコメディック病院に通院治療をされ戻りました。