鉄道&ホテルで挑む「西武」ハワイ戦略の行方

鉄道&ホテルで挑む「西武」ハワイ戦略の行方

世界中から年間900万人を超える観光客が押し寄せるハワイ。その州都ホノルルがあるオアフ島で鉄道の建設が進んでいる。その名も「ホノルル・レール・トランジット」。真珠湾の西側に広がる住宅街・東カポレイを起点に、アロハスタジアム、ダニエル・K・イノウエ国際空港(旧称・ホノルル国際空港)、ダウンタウンなどを経由して、ハワイ最大の人気商業施設「アラモアナセンター」に至る総延長32kmの高架軌道を建設する。

この路線を建設する主目的は交通渋滞の緩和だが、観光客の交通手段としても活用できる。運営を担うのはホノルル高速鉄道公社で、実際の運行業務は日立製作所系の共同企業体(JV)が担う。

車両も日立が製造することになっており、すでに納入が始まっている。総工費は67億ドル(約7300億円)以上と見積もられているが、資金不足から工事は遅れぎみだ。現在は2020年の一部開業、2025年の全線開業を目指している。
■ホノルル鉄道に意欲燃やす西武

このホノルル鉄道計画に「どんな形でもいいから参加したい」と意気込む声が西武鉄道の関係者の間で上がっている。ハワイの強い日差しの下を走る鉄道運行の一端を西武が担う。実現すれば社員の士気も高まるに違いない。

ホノルルの鉄道は「ゆりかもめ」のような無人運転方式。また、集電方式も架線ではなく線路に平行した軌条から電気を取り入れる第三軌条方式のため、運行管理もメンテナンスも西武の路線とはかなり違う。はたして西武のノウハウを生かす分野があるのか。西武鉄道のある幹部は「まだまだ夢物語」と言い切る。
とはいえ、この鉄道路線が完成すれば西武には別の意味でメリットが大きい。アラモアナセンターの目と鼻の先には西武ホールディングスが所有・運営するホテル「プリンス ワイキキ」の高層タワー2棟がそびえ立つ。このホテルはワイキキビーチからやや離れた場所にあることが集客上のネックとなっているが、鉄道が開業すれば、終着駅となるアラモアナセンターはワイキキの玄関口として重要性が高まる。必然的にホテルの価値も向上するというわけだ。

「日本のホテルブランドが1位を取るなんて」――。現地のホテル関係者が一様に驚いた。世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」が行っているオアフ島のホテルランキングで2017年10月、プリンス ワイキキがザ・リッツ・カールトン、ハイアットといった国際的な大手チェーンを押しのけてトップに躍り出たのだ。以来、8カ月にわたってトップの座を守り続けている。

日本でこそ、プリンスホテルのブランドは威光を放っているが、ハワイのホテル業界における日系の代表的プレーヤーといえば、国際興業、三井不動産、ニュー・オータニの3社というのが通説だった。国際興業は1963年に名門「モアナ・ホテル」(現モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ)を買収、その後も買収を重ね、現在はワイキキの一等地に4つ、マウイ島に1つ、合計で5つのホテルを所有している。国際興業は所有に特化し、シェラトン、ウェスティン、ハイアットといったホテルチェーンが運営を担う。
ニュー・オータニは日本企業などによってワイキキ近くに設立されたホテルの運営を1976年に受託、「ザ・ニューオータニ・カイマナビーチホテル」として再スタートさせた。また、三井不動産はワイキキの老舗ホテル「ハレクラニ」を1981年に買収している。ちなみに、東急グループも1970年代からハワイでホテル投資を行ってきたが、現在は撤退している。

■バブル期に相次いだ日本企業のホテル進出

日本企業によるハワイのホテル進出に拍車がかかったのは平成バブル期である。円高に加え、政府の低金利政策を利用して資金調達が容易になった有象無象の事業会社が競って海外の不動産を買いあさった。日本人になじみの深いハワイはとりわけ投資先として注目され、バブルピーク時の1989年には、ハワイで日本企業が取得したホテルの客室数は全体の4割に達したという。
西武のハワイ進出は、タイミング的にはバブル組に属する。1986年にハワイのマウイ島に「マウイ・プリンスホテル」を新規開業、1988年には大富豪のローレンス・ロックフェラー氏が開発したホテルとして名高いハワイ島の「マウナケアビーチホテル」を購入している。

プリンス ワイキキは1987年に総工費250億円をかけ建設がスタートした。「ハワイ・プリンスホテル・ワイキキ」という名称で開業したのは1990年4月。開業から程なくしてバブルは崩壊するが、日本人のハワイ旅行熱が衰えることはなかった。アジア通貨危機が起きた1997年まで、ハワイを訪問する日本人客は増え続けた。

バブル崩壊後には、日本企業がバブル期に取得したホテルの多くが次々と安値で売却された。ただし、国際興業、三井不動産、ニュー・オータニの3社はハワイにとどまった。西武も撤退するどころか、1994年に4軒目となるホテル「ハプナビーチプリンスホテル」をハワイ島に開業し、むしろハワイ事業を強化した。

その西武も2004年の有価証券報告書虚偽記載に端を発する西武鉄道の上場廃止を契機に、プリンスホテル社員の早期退職や40カ所にも及ぶリゾート施設の売却・廃業といったリストラに追い込まれた。
ハワイをどうすべきか。西武ホールディングスの後藤高志社長は2005年にハワイを訪れ、すべてのホテルを見て回った。結論は、「ハワイはこれからの西武にとって必要不可欠な事業だが、一方で過大な施設もある」。その結果、マウイ島のホテルは売却し、ワイキキの1つとハワイ島の2つ、合計3つのホテルに絞って運営が継続されることになった。

■60億円かけて大改装

ハワイ・プリンスホテル・ワイキキは開業から20年以上が経過し、競争力の衰えが目立ち始めたことから、2016年から2017年にかけ約5500万ドル(約60億円)をかけて大規模な改装を実施した。2017年4月にプリンス ワイキキと名前を改めてリニューアルオープン。ホテルのグレードをワンランク高めて客室単価の引き上げに成功した。さらにホテル従業員の業務権限を拡大し、自分の裁量でできる業務を増やしたことで、迅速なサービス提供が可能になり、宿泊客の満足度が高まった。
西武の国際企画部担当者は「トリップアドバイザーでは、スタッフの迅速な対応を評価するコメントが多い」として、ソフト面の改革が奏功した点を挙げる。またプロモーション展開でも、窓からヨットハーバーが見えることを強調したところ、「ワイキキビーチから遠いというネガティブなコメントが減り、立地について好意的なコメントが増えた」という。

日本にいるとハワイには数多くの日本人が訪れていると思い込みがちだが、ハワイを訪れる観光客の約7割は米国人である。日本人の割合は全体の16%程度にすぎない。

一方で、開業以来、ハワイ・プリンスホテル・ワイキキの宿泊客に占める日本人客の割合はおよそ4割という状況が続いていた。日本人客を獲得するうえで、プリンスホテルのブランド力がある程度はプラスに働いていたことになる。

改装後のプリンス ワイキキでは、宿泊客に占める日本人の割合は3割程度に下がった。裏を返せば米国人比率が高まったことになる。西武側は「ニューヨークへの営業拠点の設置や米国内でのマスメディア、SNSへの積極的な発信が功を奏した」と説明する。米国人には日本におけるプリンスホテルのブランド力は通用しないので、ホテルの実力がそのまま評価されたと見ることができる。
ハワイを訪れる観光客の数は2001年の同時多発テロ、2008年のリーマンショックなどで落ち込む時期もあったが、そのたびに力強く回復した。とりわけ近年の伸びは著しい。一方、日本人客数は足元ではわずかながら回復傾向にあるとはいえ、1990年代のような力強さには欠ける。米国人客を中心に取り込みを狙う戦略は時勢に沿ったものといえる。

■国際的なホテルグループに脱皮できるか

西武が運営するハワイ島のホテルにも動きがあった。ハプナビーチプリンスホテルは今月、ウェスティングループに加盟して「ザ・ウェスティン・ハプナ・ビーチ・リゾート」という新名称で再スタートを切る。ホテル運営は続けるものの、従来のプリンスホテルのブランドでは競争に勝てないと判断したわけだ。同じくハワイ島のマウナケアビーチホテルも、ホテル予約面で2014年からマリオットと提携関係にある。
西武は昨年、豪州のホテル運営会社「ステイウェルホスピタリティグループ」を買収し、国際的なホテルグループへの脱皮を図ろうとしている。ステイウェルは開発中の物件も含めると豪州やアジア、中東など7カ国・21都市に30ホテルを展開する。

買収によって西武のホテルポートフォリオは一気にスケールアップするが、プリンスホテルとの役割分担など、決まっていない部分も多い。ステイウェルの店舗展開ノウハウを使ってプリンスホテルを国際展開することができるか。そのためには、プリンス ワイキキが今後も日本人以外の宿泊客から高評価を得られるかどうかがカギとなる。

 

本日、千葉市美浜区真砂自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

千葉市中央区椿森国立医療センターに通院治療をされ戻りました。