南北首脳会談「対話全文」から見えた金正恩の野望と対日方針
キーワードは「一致」
まるで南北離散家族の親子が再会したかのような、晴れがましい握手と抱擁–。
4月27日、3回目となる南北首脳会談が、南北を隔てる板門店の韓国側で行われた。2000年6月の金大中大統領と金正日総書記の会談は、「和解」だった。2007年10月の廬武鉉大統領と金正日総書記の会談は「発展」だった。そして今回の会談のキーワードは「一体」である。
午前9時29分、南北境界線の北側「板門閣」から金正恩委員長が現れ、南側に立って待つ文在寅大統領の方に、のっしのっしと歩き出した。そして南北境界線の「板」を挟んで、二人は握手を交わした。
この両首脳の初対面の挨拶の場面を、少しでも臨場感を持たせるために、ハングルをカタカナ表記してから訳出する。
金正恩:パンガプスムニダ(お会いできて嬉しいです)
文在寅:オシヌンデ ヒムドゥルジ アナッスムニカ? いらっしゃるのに大変でなかったですか?
金正恩:アニムニダ(いいえ)
文在寅:パンガプスムニダ(お会いできて嬉しいです)
金正恩:チョンマル マウム ソルレミ クチジアンコヨ、クロッケ ヨクサジョギン チャンソエソ マンナニカ、ト テートンリョンケソ イロン プンゲソンカジ ナワソ マジヘジュンデ テヘソ チョンマル カムドンジョギムニダ(本当に胸がドキドキして止まらないです、こんな歴史的な場所で会ったので。また大統領がこんな境界線まで来て迎えてくれたことに対して、本当に感動的です)
文在寅:ヨギカジ オンゴスン ウィウォンジャンニム アジュ クン ヨンダンイオッスムニダ(ここまで来ることは、委員長様はとても大きな勇断でした)
金正恩:アニアニ、アニムニダ(いやいや、そんなことありません)
文在寅:ヨクサジョギン スンガヌル マンドゥロッスムニダ(歴史的な瞬間を作りました)
金正恩:パンガプスムニダ(お会いできて嬉しいです)
文在寅:イッチョグロ ソシルカヨ? こっち側にお立ちになりますか?
(金正恩委員長が、よっこいしょと南北境界線をまたいで、韓国側に立った)
文在寅:キム ウィウォンジャヌン ナムチョグロ オシヌンデ ナヌン オンジェッチュム ノモガルスイッケンヌニャ(金委員長は南側にいらっしゃったのに、私はいつになったら越えることができるだろうか)
金正恩:クロム チグム ノモガボルカヨ(それなら今、越えてみますか)(そう言って文在寅大統領の手を取って、南北境界線をまたいで北朝鮮側に渡った)
このように、通訳を通さずにスラスラと会話が進んでいくところに、同じ民族の「心地よさ」を感じる。
金正恩「無言の意思表示」
それにしてものっけから、金正恩委員長が突然、文在寅大統領の手を取って、境界線の北側に「案内」したことはサプライズだった。世界中から集まった4000人以上の記者たちが、このビッグ・サプライズの見証者となった。
私は、NHKの生中継で見ていたが、この直後に興味深いことが起こった。二人で再び手を取り合って、境界線を南側に渡る際、文在寅大統領は慎重に境界線を跨(また)いだ。ところが金正恩委員長は、境界線を踏んづけて渡ったのである。「境界線などなくしてしまえ!」という無言の意思表示に思えた。
両首脳は、境界線から歩いて、300人の儀仗隊による栄誉礼の歓迎を行った。衣装や音楽は、朝鮮民族の伝統的な様式である。金委員長の後ろには、妹の金与正党第一副部長がついている。与正副部長はこの日、兄の秘書役を務め、李雪主夫人は晩餐会になって参加した。
文在寅:外国の人々も、わが伝統の儀仗隊が好きです。ただ、今日お見せしている伝統的な儀仗隊は略式で、残念です。「青瓦台」(韓国大統領府)にいらっしゃれば、素晴らしくよい場面をお見せすることができるのですが。
金正恩:あっ、そうですか? 大統領が招待してくだされば、いつでも青瓦台に行きますよ。
この金委員長の返答は、2番目のサプライズである。1968年1月、青瓦台に朴正煕大統領暗殺部隊を送り込んだ祖父・金日成主席は、草葉の陰で何と思うだろうか?
儀仗隊の奏でる伝統音楽を聞きながら赤絨毯の上を歩いた両首脳は、共に笑顔だった。
金正恩:今日この場所に来て、閲兵が終わったら戻らなければならない者たちもいる。
文在寅:それなら帰られる前に、南北公式随行員が皆で、写真を撮ったらいい。
朝鮮半島の人たちは、基本的にアドリブで生きているから、予定になかった全員での写真撮影となった。
写真:現代ビジネス
自虐と最上級敬語
それが終わると、南北首脳会談を行う「平和の家」に入った。金正恩委員長は、与正第一副部長から万年質を渡され、芳名録に記帳した。
「新しい歴史はこれから。平和の時代、歴史の出発点にて。金正恩 2018.4.27」
北朝鮮国民には、「主体107年」を徹底させているというのに、ここでは主体暦でなく西暦でサインした。
ロビーには、ミン・ジョンギ画伯の「北漢山」(ソウル北郊の山)の大型の絵(452・5㎝×264・5㎝)が掛かっていた。そこは板門店だが、ソウルに招待した気分になってもらおうと、国立現代美術館から借り受けたのだという。
金正恩:これはどんな技法で書かれたのか?
文在寅:西洋画ですが、われわれの東洋的な技法で書かれた。
両首脳は、1階の歓談室に入った。陪席者は、北朝鮮側が金与正党第一副部長と金英哲党統一戦線部長、韓国側が任鍾晳大統領秘書室長と徐勲国家情報院長である。
テーブルの後ろの壁には、写真作家・金重晩の作品『訓民正音』が掛かっていた。以下、歓談内容を訳出する。
文在寅:この作品は、世宗大王がお創りになった訓民正音のハングルを作品にしたものだ。ここを見ると、「サロ サマッディ」とある。「互いに通じる」という意味で、文字に「□」(m音)が入っている。「メンガノニ」とは「作る」という意味だ。そこに「フ」(k音)を特別に表示してある。「互いに通じ合って作る」という意味で、文在寅の頭文字の「□」と、金正恩委員長の頭文字の「フ」になっているのだ。
金正恩:細部に至るまで、心使いしていただいているんですね。
文在寅:ここまでは、どうやって来られたのか。
金正恩:明け方に車に乗って、開城を経由して来た。大統領も早朝に出発なさったのでしょう。
文在寅:私はたったの52㎞下ってきただけで、1時間程度で着いた。
金正恩:大統領は、われわれ(北朝鮮)のせいで、国家安保会議(NSC)に何度も出席されているのだから、明け方に起きるのが、習慣になっているでしょう。
文在寅:金委員長が、われわれの特使団が(3月5日平壌に)行った時、前向きなお言葉を下さってからは、枕を高くしてなられるようになった。
金正恩:大統領が明け方に寝そびれないよう、私が保証しよう。わずか200mを来ながら、なぜこれほど遠く見えたのか、また、なぜこれほど困難だったのかを考えた。もともと平壌で大統領と会おうとしていたのだが、ここで会った方が、さらによかったです。
対決の象徴である場所で、多くの人が期待を持って見ています。来ながら思うに、故郷を追われた人や脱北者、延坪島の住民など、いつ北朝鮮軍の砲撃を受けるか知れないという不安感に苛まれていた方々も、今日われわれの出会いに、期待を持っていると思いました。この機会にを大事にして、南北間の傷が癒やされる契機になれば嬉しいです。分断線は高くもないのだから、多くの人たちが踏んで進んだなら、なくなってしまうのではないか。
文在寅:青瓦台から来たのですが、道路に多くの住民たちが歓声を上げてくれた。それほど今日はわれわれの出会いに対する期待が高いのだ。(軍事境界線近くの)大成洞の住民たちも皆集まって、写真を撮った。
われわれの肩は重い。板門店をスタートとして、平壌とソウル、済州島、白頭山でも続けて会えればよいと思う。(歓談場の前に掛かっている)左の絵が「長白の滝」で、右側が済州島の「城山日出峰」の絵だ。
金正恩:文在統領は、(北朝鮮の革命の聖山)白頭山に対して、私よりもよく知っておられるようだ。
文在寅:私は、白頭山に行ったことがない。だが中国側から白頭山(中朝国境の山となっている)に行く韓国人が多いのだとか。私としては、北(朝鮮)の方を通って、必ず白頭山に登りたいと思っている。
金正恩:文大統領がいらっしゃれば、正直言って心配なのは、わが国の交通が不備で、不便をかけるのではということだ。平昌オリンピックに行ってきた人たちが言っていたが、平昌の高速列車がとてもよかったのだとか。南側のそのような繁栄に較べて、北に来れば本当に貧乏くさいと思うだろう。われわれも準備して、大統領がいらっしゃる時には心地よく接待しようと思う。
文在寅:今後は北側と鉄道が連結すれば、南北がすべて、高速鉄道を利用できるようになる。そのようなことが、(2000年)「6・15合意」と(2007年)「10・4合意」に込められているのに、10年の間、それらを実践できなかった。南北関係が完全に変わってしまい、それが続いてきたことが恨めしい。金委員長におかれては、大きな勇断によって、10年間切れていた血脈を、今日再び繋いだのだ。
金正恩:期待が大きい分、懐疑的な見方もある。大きな合意を果たしておいて、10年以上も実践できなかった。今日会ったのも、ただ会っただけでその結果どうなるというのだという懐疑的な見方もある。
短い時間歩いてここまで来たというのに、本当に11年もの年月がかかったのだと思ったものだ。そのようなわれわれが、11年間果たせなかったことを、100何日の間に、頼もしく駆け寄ってきたのだ。固い意志を持って共に手を握ってゆけば、いまよりもできないということがあろうか。
大統領様は、私とここで会えば不便ではないかと思ったりもしたが、それでも親書と特使を通して、事前に対話をしていたので、心は軽かった。互いに対する信頼と信心が重要だ。
文在寅:(陪席した金与正第一副部長を指して)金副部長は、南側では大スターになったよ。今日の主人公は、金委員長と私だ。過去の失敗を鑑として、うまくやることだ。過去には、政権の中間や終わりごろになって合意がなされたため、政権が変われば実践されなくなった。私の政権は、まだ始まって1年だ。私の任期のうちに、金委員長の新年賀詞から今日に至るまで駆け上がってきた速度を、今後とも維持すればよいと思う。
金正恩:金与正副部長の部署で、「万里馬速度戦」という言葉を作ったが、南と北の統一の速度のこととしよう。
任大統領秘書室長:薄氷の上を歩く時は落っこちないようにするためには、速度を遅くしてはいけないという言葉がある。
文在寅:過去を振り返れば、最も重要なものは速度だ。
金正恩:これからは何度も会おうではないか。これからは心をしっかり固くして、再び原点に立ち戻ることがないようにしないといけない。期待に応えて、よい世の中を作ろうではないか。今後われわれも、しっかりやりましょう。
文在寅:北側で大事故が起きたと聞いた。収めるのに大変だったことだろう。金委員長におかれては、直接病院まで見舞いに行かれ、特別列車も仕立てて配慮したという話を聞いた。
金正恩:対決の歴史に終止符を打ってきて、われわれの間に引っかかっている問題に対して、大統領と膝を合わせて解決していこうとして来た。必ずやよい未来が来ると確信が持てるようになった。
文在寅:韓半島(朝鮮半島)の問題は、われわれが主人だ。それでも世界と共に進んでゆくわが民族とならねばならない。われわれの力でもって統率し、周辺国がついてこられるようにしなければならない。
以上である。だいぶ長くなってしまったが、両首脳のホンネが透けて見える。
まず、金正恩委員長が自虐ネタを連発したのことが、3つ目のサプライズだった。自分たちがミサイルを打ちまくるから文在寅大統領が早起きしないといけなくなったとか、白頭山は北朝鮮側から上るとみすぼらしいとかいったことだ。それらを、非常にきちんとした最上敬語の中で使っている。
一方、文在寅大統領は、31歳年下の金正恩委員長に対して、語尾に敬語を使っていない。また、「速度が最も大事だ」とか「韓半島の問題はわれわれが主人公だ」と強調しているのは興味深かった。総じて言えば、金正恩委員長の方が開放されていて、文在寅大統領の方が北朝鮮ぽいイメージなのである。
独裁者がジョークを飛ばすとき
続いて、10時15分から11時55分まで、午前中の南北首脳会談が行われた。
首脳会談に参加したのは、北朝鮮側は10人だった。金正恩委員長以下、金永南最高人民会議常任委員長、金与正党第一副部長、金英哲党副委員長、李明秀総参謀長、朴英植人民武力相、崔輝党副委員長、李勇浩外相、李洙ヨン党副委員長、李善権朝鮮平和統一委員長である。
一方の韓国側は8人。文在寅大統領以下、宋英武国防部長官、任鍾晳大統領秘書室長、康京和外交部長官、趙明均統一部長官、鄭義溶大統領国家安保室長、徐勲国家情報院長、鄭景斗軍合同参謀議長である。
冒頭の発言は、金正恩委員長の方から行った。
金正恩:私は軍事境界線を越えてきたが、越えがたい高さではないし、いとも簡単に越えた。11年もかかったのに、今日歩いて来ながら思うに、なぜこれほど、こんなに時間がかかったのか、なぜかくも大変だったのかという思いが湧いた。
今日、この歴史的な場所で、さっきも話したが、期待している方も多く、過去の時のように、いくら素晴らしい合意や文が発表されても、それを履行できなければ、むしろこのような会合を持っても、よい結果がよく発展させられないならば、期待を抱いた方々に、むしろ落胆を与えてしまうのではないか。
今後、しっかりした気持ちを持って、われわれが失われた11年の歳月を惜しむほどに、何度も会い、引っかかっている問題を解きほぐしていき、心を合わせ意志を結集させる。そうした意志を持てば、失われた11年を惜しまなくなってよいのではないかと、そのようなことが万感胸を交差する中で、200mを歩いてきた。
平和と繁栄の北南関係に、新たな歴史が記される出発点から、信号弾を放つのだという、そんな気持ちを持ってやって来た。今日、懸案問題の数々、関心事項の問題を消し去るよう話をして、よい結果を作り出し、この場所を借りて過去の時期のように履行できずに原点に戻っていくことよりも、しっかりした心を持って、未来を見据えながら、指向性を持って手を携えて歩いてゆく契機となり、期待に応えられるようになればよい。
今晩の晩餐の料理を持って、もう話が多く出たように、大変だったけれども、平壌から平壌冷麺を持ってきた。大統領におかれては、気持ちよく遠くから持ってきた平壌冷麺を、あっ、遠いという言葉を使ってはダメだったな(金与正を眺めて笑う)。おいしくいただいてもらえばよい。
今日は本当に虚心坦懐に、真摯に、正直にと、そのような気持ちで本日、文在寅大統領様とよい話をして、必ず必要な話をして、よい結果を作り出していけたらよいということを、文大統領の前で申し上げ、記者の皆さんに対しても言っておく。ありがとう。
文在寅:本日、われわれの会談を祝福するように、快晴の天気に恵まれた。韓半島は春の真っ盛りだ。そして韓半島の春に、世界中が注目している。世界の目と耳が、板門店に注がれている。
南北の国民と、海外の同胞たちが抱いている期待も、大変大きい。それだけにわれわれ二人の肩は重たいと思う。わが金正恩委員長が、史上初となる軍事境界線を越えてきた瞬間、板門店は分断の象徴ではなく、平和の象徴となったのだ。国民たちと世界の期待が大きく、今日この状況を作り出した金正恩委員長の勇断に対して、いま一度敬意を表したい。
今日われわれはしっかりと対話を交わし、合意に至り、われわれの全民族及び平和を願う世界のすべての人々に、大きな贈り物を与えられたらよいと思う。今日は一日中、話をする時間があるから、10年間待ってきただけに、十分な話ができることを願うものだ。
会談の冒頭から再び、金正恩委員長のジョークが飛び出した。一般に、独裁者がジョークを飛ばす時は、ものすごく機嫌がよい時だ。
一方、文在寅大統領が述べた「分断の象徴から平和の象徴へ」というフレーズは、この日の首脳会談のテーマだ。また、「10年間待ってきた」という言葉の裏には、いかに李明博、朴槿恵の両政権がひどかったか、そして両元大統領が監獄へ行くのは当然だというメッセージが込められている。思えば、韓国にしても北朝鮮にしても、トップ同士は笑って握手しているが、その周囲は死屍累々だ。
南北首脳会談の内容は、朝鮮半島の非核化、朝鮮戦争の休戦協定処理、南北間交流の3本立てである。これについては後述する。
両首脳の締めくくりの言葉は、以下の通りだ。
金正恩:私が申し上げれば、高低差は飛行機でいらっしゃれば便利ですから。われわれの道路というのは、さっきも申し上げたが不便です。私が今日、下りてきてみて、やはりいらっしゃるなら、空港で歓迎の儀式を行いと、このようにすればうまくいくと思います。
文在寅:その程度は、また置いておいて、時期が迫ってきたら論議する風にしてもよいでしょう。
金正恩:今日ここで、次の計画まですべてやってしまう必要はないでしょう。
文在寅:今日はとてもよい議論がたくさんなされて、われわれはとても南北の国民たちに、全世界の人たちに、とてもプレゼントがあげられるようです。
金正恩:たくさん期待しておられた方々に対して、もちろんこれは始まりで、氷山の一角にすぎないけれども、われわれは今日、初めて会い、今日初めて話をして発表してとなれば、期待されていた方々に少しでも満足していただければと願います。
文在寅:ありがとうございました。
金正恩:ありがとうございました。
二人きりで話したこと
11時55分、午前中の南北首脳会談が終わると、金正恩委員長は、いったん一行を引き連れて南北境界線を越え、北朝鮮側に戻った。金正恩委員長が乗ったベンツを、12人の青ネクタイをしたSPが取り囲んで走るという北朝鮮独特の光景が見られた。
ここから長い作戦タイムとなった。
次に金正恩委員長が南北境界線を越え、記念植樹を行ったのは、すでに西日が差した午後4時半になっていた。予定では、昼食は別々に取り、昼食後すぐに記念植樹となっていたが、4時間半も延々と作戦会議が続いたのである。これが、4つ目のサプライズだ。
南北境界線から200mしか離れていない場所で、1953年に芽が出た松の木に、「平和と繁栄を植える」作業を行った。まずは金正恩委員長が漢拿山(済州島にある聖山)の土をかけた。続いて文在寅大統領が、白頭山の土をかけた。その後、金委員長が漢江の水をかけ、文大統領が大同江(平壌を流れる河)の水をかけた。
植樹イベントの後、5つ目のサプライズが起こった。予定では、両首脳が歩道を散策し、1953年の休戦協定の時に作られた「徒歩橋」と呼ばれる青い橋(青色は国連軍の色)を渡って戻ってくることになっていた。ところが両首脳は、徒歩橋の麓に置かれたベンチに腰かけて、4次36分から5時12分まで、36分間も話し込んだのである。この「徒歩橋会談」が事実上、午後の南北首脳会談となった。
36分中、最初の8分間は、両国の代表カメラマンが近くで撮影していたが、残りの28分は、通訳も速記係もなく、完全に二人きりである。
私はテレビの生中継で、二人の表情を追っていたが、多くは文在寅大統領が話し、金正恩委員長が、真剣な眼差しで聞き役に回っていた。
これは私の推測だが、金正恩委員長には、計り知れない内外のプレッシャーがかかっていたはずだ。内については、これまで党是だった核開発をストップするというのだから、120万朝鮮人民軍の反乱が起こるリスクがある。また外については、5月か6月に行われる予定のトランプ大統領との米朝首脳会談が、北朝鮮の存亡を決める「世紀の会談」となることは確実だ。
そんな中で、どこまで文在寅政権に託してよいかについて、北朝鮮としては逡巡を極めたものと思われる。上記の「10人組」で言うなら、最も文在寅政権にのめり込んでいるのは、金正恩委員長本人である。一方、文在寅もトランプも信用ならないというのが、軍強硬派の李明秀総参謀長と朴英植人民武力相あたりではなかったか。残りは日和見主義者だが、このまま経済制裁が続いたら国が崩壊してしまうのは、誰の目にも明らかだった。
そんなことで侃々諤々の議論になって、午後一杯かかってしまった。つまり、北朝鮮内部で揉めたのだ。そして最後は、金正恩委員長に一任となり、金委員長は韓国側に、絶対に文大統領と一対一で話せて、しかも盗聴されにくい場所を希望した。それには、戸外しかなかったのである。金委員長にしてみれば、文大統領の部下たちも信用できないが、自分が連れてきた部下たちも信用できないのだ。
そこで、徒歩橋のベンチに、冷たい水と温かい茶が用意された。金正恩委員長は水を飲み、文大統領は茶を啜っていた。金委員長は、極めつけのヘビースモーカーなので、本当ならタバコを口にしたかったはずだが、そこは儒教社会の朝鮮民族だけあり、31歳年上の文在寅大統領に遠慮して我慢した。その分、喉が渇いて仕方なかったのだろう。
金委員長は、自らが納得いくまで文大統領に質問をぶつけ、それに対して文大統領は、真剣に答えた。南北の対立関係をどう終わらせるか、トランプ大統領をどう御していくか、国連の経済制裁をどうやって解くか、在韓米軍をどうやって撤退させるか、そしてどうやって統一作業を進めていくか……。
結論として、若い金正恩委員長は、やはり文在寅大統領に託すことにした。彼なら「同盟より同胞を選択する」と判断した。朝鮮語で言うところの「ミドゥム」である。
ピッタリ来る日本語がないのが残念だが、一番近いのは「信」の漢字だろう。文在寅大統領の政治の兄貴分である故・廬武鉉大統領が訪日した際、私は会見に参加したが、「政治はミドゥムである」と言って、この単語を連発していた。この一年の文在寅政治も、北朝鮮に対するミドゥムがベースになっている。
金正恩委員長は、徒歩橋のベンチを離れて「平和の家」に向かう帰路の約10分間も、引き続き、食い下がるように文在寅大統領に問いかけていた。
日本は共通の敵?
両首脳は一度、「平和の家」に戻ってから、再び戸外へ出て、「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」の署名式を行った。この「板門店宣言」に関しては、日本のいくつかのメディアがすでに日本語に訳しているので、ここでは時事通信社版を引用する。以下が、その全文である。
<大韓民国の文在寅大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正恩国務委員長(朝鮮労働党委員長)は平和と繁栄、統一を念願する全民族の一致した思いを込め、朝鮮半島で歴史的な転換が起こっている意義深い時期に、2018年4月27日、板門店平和の家で南北首脳会談を行った。
両首脳は、朝鮮半島にこれ以上戦争はなく、新しい平和の時代が開かれたことを8000万のわが民族と全世界に厳粛に宣明した。
両首脳は冷戦の産物である長い間の分断と対決を一日も早く終息させ、民族の和解と平和繁栄の新たな時代を果敢に開いていき、南北関係をより積極的に改善し発展させていかなければならないという確固たる意志を込め、歴史の地、板門店で次のように宣言した。
1、南北は、南北関係の全面的、画期的な改善と発展を成し遂げることにより、断たれた民族の血脈をつなぎ、共同繁栄と自主統一の未来を引き寄せていく。南北関係を改善し発展させることは、全民族の一致した望みであり、これ以上先送りできない時代の切迫した要求だ。
(1)南北は、わが民族の運命はわれわれ自ら決定するという民族自主の原則を確認し、既に採択された南北宣言とあらゆる合意を徹底して履行することにより、関係改善と発展の転換的局面を開いていくことにした。
(2)南北は、高官級会談をはじめとした各分野の対話と交渉を近く開催し、首脳会談で合意された問題を実践するための積極的な対策を立てていくことにした。
(3)南北は、当局間協議を緊密に行い、民間交流と協力を円満に保障するため、双方の当局者が常駐する南北共同連絡事務所を(北朝鮮の)開城地域に設置することにした。
(4)南北は、民族の和解と団結の雰囲気を高めていくため、各界各層の多方面の協力と交流、往来と接触を活性化させることにした。今後は6月15日をはじめ南北共に意義がある日を契機にして当局と国会、政党、地方自治体、民間団体など各界各層が参加する民族共同行事を積極的に推進し、和解と協力の雰囲気を高め、外では18年アジア大会をはじめとした国際競技に共同で出場し、民族の技術と才能、団結した姿を全世界に誇示することにした。
(5)南北は、民族分断により発生した人道問題を早急に解決するために努力し、南北赤十字会談を開催し、離散家族・親戚再会をはじめとしたさまざまな問題を協議、解決していくことにした。当面、来る8月15日を契機に離散家族・親戚再会事業を行うことにした。
(6)南北は、民族経済の均衡の取れた発展と共同繁栄を成し遂げるため、10.4宣言(07年の南北平和宣言)で合意された事業を積極的に推進していき、一次的に東海線ならびに京義線の鉄道と道路を連結し現代化して活用するための実践的な対策を取っていくことにした。
2、南北は、朝鮮半島で先鋭化した軍事的緊張状態を緩和し、戦争の危険を実質的に解消するため、共同で努力していく。
(1)南北は、陸上と海上、空中をはじめとしたあらゆる空間で軍事的緊張と衝突の根源となる相手に対する一切の敵対行為を全面中止することにした。当面、5月1日から軍事境界線一帯で拡声器放送とビラ散布をはじめとしたあらゆる敵対行為を中止し、その手段を撤廃し、今後非武装地帯を実質的な平和地帯にしていくことにした。
(2)南北は、黄海の北方限界線(NLL)一帯を平和水域にし、偶発的な軍事的衝突を防止し安全な漁業活動を保障するための実質的な対策を立てていくことにした。
(3)南北は、相互協力と交流、往来と接触が活性化されるのに伴うさまざまな軍事的保障対策を取ることにした。南北は、双方の間に提起される軍事的問題を遅滞なく協議、解決するために、国防相会談をはじめとした軍事当局者会談を頻繁に開催し、5月中にまず将官級軍事会談を開くことにした。
3、南北は、朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のために積極的に協力していく。
朝鮮半島で不正常な現在の休戦状態を終息させ、確固たる平和体制を樹立することは、これ以上先送りできない歴史的課題だ。
(1)南北は、いかなる形態の武力も互いに使用しないことについての不可侵合意を再確認し、厳格に順守していくことにした。
(2)南北は、軍事的緊張が解消され、互いの軍事的信頼が実質的に構築されるのに伴い、段階的に軍縮を実現していくことにした。
(3)南北は、休戦協定締結65年になる今年中に終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制構築のための南北米3者または南北米中4者の会談開催を積極的に推進していくことにした。
(4)南北は、完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現するという共同の目標を確認した。南北は、北側が取っている主動的な措置が朝鮮半島非核化のため非常に意義があり重大な措置であるということで認識を共にし、今後、それぞれが自らの責任と役割を果たすことにした。南北は、朝鮮半島非核化に向けた国際社会の支持と協力(獲得)のため、積極的に努力することにした。
両首脳は、定期的な会談と直通電話を通じて民族の重大事を随時、真摯(しんし)に論議し、信頼を固め、南北関係の持続的な発展と朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた良い流れをさらに拡大させていくために、共に努力することにした。当面、文在寅大統領は今秋平壌を訪問することにした。
2018年4月27日 板門店
大韓民国大統領 文在寅
朝鮮民主主義人民共和国国務委員長 金正恩>
この長文の板門店宣言を精読して、思わず唸ってしまった。一言で言えば、アメリカを抜きにして南北で行けるところまで突き進んで行く。そして日本を「共通の敵」としていくことが暗示されている。
「共同反日戦線」
もう少し整理してみよう。「板門店宣言」の主な合意点とポイントは、以下の通りだ。
・わが民族の運命はわれわれ自ら決定するという民族自主の原則を確認した。→朝鮮半島のコアの部分は、あくまでも韓国と北朝鮮の2ヵ国であるという主張で、文在寅政権が「同盟より同胞を重視する」ことを示唆している。
・南北共同連絡事務所を開城(ケソン)地域に設置する。→2000年の南北首脳会談後の和解の象徴だった開城工業団地は、国連の経済制裁が解かれるまで再開できない。そのため、早く再開できるよう国際社会にプレッシャーをかけているという意味合いがある。
・南北共に意義がある日を契機にして民族共同行事を推進する。→日本にとっては、この部分が警戒ポイントの一つである。「南北共に意義がある日」とは、3月1日の抗日独立運動記念日、8月15日の光復節など、日本を共通の敵とした日のことだ。つまり、竹島問題や歴史問題などについて、今後は堂々と「共同反日戦線」を張ると言っているのだ。
加えて、近未来に日朝国交正常化を果たす際には、北朝鮮は35年間の植民地支配の代償として多額の経済援助を日本から得ようとしているが、韓国がそのサポートを行うという伏線も張られている。
・18年アジア大会をはじめとした国際競技に共同で出場する。→これは、2月の平昌オリンピック参加で、「スポーツは政治に利用できる」と、北朝鮮が味をしめたため、ジャカルタで今夏に開かれるアジア大会(8/18~9/2)でも同じ手を使おうということだ。
・8月15日を契機に離散家族・親戚再会事業を行う。→離散家族の再開は、両親が北朝鮮出身である文在寅大統領にとって、北朝鮮の「原体験」であり、強く希望していたことだった。8月15日に行うのは、「植民地支配した日本に責任がある」ことを強調する目的もある。
・鉄道と道路を連結し現代化して活用する。→「鉄道と道路を繋げれば統一は早まる」というのは、文大統領の兄貴分・廬武鉉大統領の遺志である。実際、2007年10月の廬武鉉大統領と金正日総書記の南北首脳会談では、2008年の北京オリンピックの合同応援団を、京機線の列車に乗って派遣することを決めていた。
・南北は、一切の敵対行為を全面中止する→これは、米トランプ政権に向けたメッセージの意味合いが強い。「南北は平和にやっているのだから、敵視政策を早くやめろ」ということだ。
・黄海の北方限界線(NLL)一帯を平和水域にする。→陸の国境と共に、海の国境もいまだ定まっていない。国連軍(アメリカ+韓国)は一方的にNLLを定めたが、北朝鮮はこれを認めていない。そこで、朝鮮戦争の平和協定締結に向けて、できるところから外堀を埋めていこうということだ。
・5月中にまず将官級軍事会談を開く。→これも同様に、アメリカに対するプレッシャーである。金正恩委員長は、トランプ大統領との会談時に、少しでもリスクを減らしておきたいのである。
・南北は、休戦協定締結65年になる今年中に終戦を宣言する。→この部分は、北朝鮮側はこの日の「板門店宣言」で「終戦宣言」したかったが、韓国側が米トランプ政権に背中を引っ張られてかなわなかった。そこで「今年中に」として、韓国側が北朝鮮側に配慮を見せたのだろう。
・平和体制構築のための南北米3者または南北米中4者の会談開催を推進する。→2003年に中国が主催した「6者会談」が有名だが、ロシアを外したいアメリカ、日本を外したい中国の思惑が重なり、4者となったのだろう。3者が並記されている理由は不明だ。1953年の朝鮮戦争の休戦協定は、国連軍、北朝鮮、中国によってなされており、当時入っていない韓国を「当事者枠」として加えるのは当然としても、中国を外す理由は見当たらない。いずれにしても、日本は「蚊帳の外」に置かれることがはっきりした。
・南北は完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現するという共同の目標を確認した。→この部分を肯定的に評価するか、否定的に評価するかは、意見が分かれるところだ。英BBCテレビのニュースを見たら、「ニュークリア(核)・イズ・ノット・クリア」と、うまいことを言っていた。
まず「非核化」の主語がない。そして「核のない朝鮮半島」となっているが、これは北朝鮮の非核化と在韓米軍の撤退が同時進行されるという解釈も成り立つ。さらに述語部分は、「~という共通の目標を確認した」と、曖昧な表現になっている。
おそらくこの部分は、両首脳がサインする直前まで、何度も推敲したのではなかったか。結局、非核化の方向性のみ示して、今回の第一ステップに続く、米朝首脳会談の第二ステップに、結論を委ねた格好である。
だが私は、非核化の方向性を示したというだけでも評価する。
・両首脳は、定期的な会談と直通電話を通じて論議する。
・当面、文在寅大統領は今秋平壌を訪問する
→この二つの文は、金正恩政権が、文在寅政権を抱き込んで担保を取った格好だ。
一気にケリをつけるつもりか
続いて、午後6時39分から9時12分まで、「平和の家」3階で、晩餐会が開かれた。
文在寅大統領と金正恩委員長の挨拶は、以下の通りだ。全文はかなり長いので、要旨のみ訳出する。
文在寅:金正恩委員長が特別に準備してくださった平壌冷麺が、今晩の意味をより深いものにしてくださいました。このような一つの席に腰掛けるまで、わが同胞(はらから)は皆、よく我慢しました。互いに拳(こぶし)を上げ合った時もあったのです。それが本日、われわれは全世界が見守る中、歴史的な出会い、そして貴重な合意を成したのです。
一つの春を待っていてくださった南北8000万のはらから全員に感謝します。
金正恩委員長が、軍事境界線を越えてくる姿を見ていて、11年前に廬武鉉大統領が軍事境界線を越えて行った姿を思い起こしました。しかしその後の10年間、何と恨めしい歳月を過ごしたことか。
本日、分断の象徴だった板門店は、世界平和の出産室になりました。金委員長と私は、真心を込めて対話しました。心が通じ合いました。われわれは今日、平和と繁栄、共存の新たな道を開いたのです。
南と北が、わが民族の運命を主導的に決定していき、国際社会の支持と協力を共に受けていかねばならないという共通認識を持ちました。これからは困難な問題にぶち当たったら、今日のように南北が向かい合って解決方法を探っていきます。金正恩委員長と私は、定期的な会談とホットラインの対話を通じて議論し、ミドゥムを育んでいく所存です。
北側には「同行者がよければ遠距離も近い」という諺があります。まさに金委員長と私は、またとない同行者となったのです。南と北が自由に行き来できる日のために乾杯!
金正恩:この席で、誰が北側の人間で、誰が南側の人間かなんて、まったく見分けがつかない。まさに感動的な場であり、われわれは分け隔てのできない一つの存在なのだという事実を、再認識した瞬間だ。嬉しくて、胸がときめいている。本当に夢のように嬉しいです。
文大統領の果敢な決断力と意志は、時代の歴史の中で高い尊敬を受けるでしょう。文大統領に感謝の意を表します。
今日われわれは、悪夢のような北南間の凍りついた長い日々に、おさらばすると宣言します。そして暖かい春の始まりを、全世界にお知らせしました。本日4月27日は、新たな出発点なのです。
崇高な使命感を忘れずに、共に手をしっかりと繋いで、たゆまず努力し、たゆまず歩んで行きましょう。そうすれば必ず、よい方案を作ることができるでしょう。
私は今日、そのような気持ちを、再び持つようになりました。今後とも文大統領と会って、われわれが進む道を模索し、議論していきます。必要な時はいつでも電話でも議論します。
平和的で強大な国という終着点に向かって、力強く走ってゆかねばなりません。この土地の永遠なる平和を守り、共通の繁栄という新たな時代を、私と文在寅大統領は作っていきます。それはわれわれすべての意志にかかっているのです。
夜9時12分に晩餐会が終わると、金正恩夫妻を始めとする北朝鮮代表団一行は、闇夜の南北境界線の北側へ帰って行った。
誤解を恐れずに言えば、朝鮮民族は、バクチ性に富んだ民族である。ハイリスクを恐れずに、ハイリターンに向かっていく。大国に囲まれた半島国家の特性として、大国の狭間で活路を見出すべく、常に激しい動きに出る。そのダイナミックさは、四方を海に囲まれた平和な島国に生きる日本人の理解を、大きく超越している。
ともあれ、こうして第一幕が終了し、舞台はトランプ大統領との第二幕へと移っていく。金正恩委員長にとっては、さらにハードルは高くなるが、この34歳の青年指導者は、朝鮮半島の問題に、一気にケリをつけようとしているように見える。