千葉市   64年五輪でも千葉で競技 

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64年五輪でも千葉で競技 9カ月前に急きょ決定・クロスカントリー【聖火のバトン】

2020年の東京五輪・パラリンピックで8競技を開催する千葉県。実は1964年東京五輪でも県内で行った競技があった。5種目に挑み総合得点を競う「近代五種」のクロスカントリー(野外走)だ。当初の都内開催が千葉市内に急きょ変更。本番が9カ月後に迫る時期だったが、会場や周辺道路の整備を急ピッチで進め、手作りの「おもてなし」も好評だったという。

◆都内から変更

変更先の会場は千葉市浪花町(現花見川区)の東京大学検見川総合運動場。当時の千葉日報紙面や県・千葉市に残る資料によると、当初は都内世田谷区のゴルフ場で実施予定だったが、国際競技団体が同運動場を「広くて起伏も多く、より適している」と評価して変更を強く求めた。大会実行委員会は、同運動場が都内の選手村から遠く、移動に片道1時間以上かかると難色を示したが、最終的に競技団体の意向を優先した。

1964年1月、千葉市は当時の宮内三朗市長が「全市民が心から各国選手を迎えたい」と歓迎の意向を表明。選手のバス移動に配慮して会場と国道を結ぶ市道を舗装、花壇を設けて美観にも気を配った。参加選手から完成度の高さに驚きの声が上がるほどだった。

競技前日の10月14日には開会式会場の東京・国立競技場から聖火を分火するリレーも実施。同市千葉寺町にあった県営競技場から市内の中高生9人が走ってつなぎ、翌15日に同運動場の一角に用意された聖火台に点火した。

聖火を一晩保管した市立花園中学校では住民ら約2千人が「歓迎の夕べ」を開いて盛り上げ。国立競技場から県営競技場までは聖火を自衛隊のヘリコプターで“護送”する計画もあったが、悪天候のため車に切り替えたという。

五輪9カ月前の県内への会場変更を報じる当時の千葉日報紙面
◆満員のスタンド
競技当日は15カ国の30選手が参加。水泳や馬術などの4種目を経て、メダリストが決まる最終種目だったこともあり、開始30分前の午後1時半ごろには3500人収容のスタンドが満員。会場が見える沿道にも小中学生らが集まり、総勢約6千人が観戦した。7位に入った船橋市在住の福留義秀選手への応援だけでなく、各国の選手に分け隔てなく声援を送る子どもたちに対し、外国人観戦客が「サンキュー」と感謝する交流も生まれた。

競技後は千葉市内の県体育館で選手らを招いた歓迎会が開かれ、県と市が浴衣などをプレゼント。同運動場で古代の大賀ハスの種が発見されたことを踏まえ、同ハスの種や写真付きはがきも贈った。地元の高校生は英文のメッセージを添えて喜ばせた。

2020年大会でも、当初県内で競技の開催予定はなかったが、千葉市美浜区の幕張メッセが7競技の会場に決定。追加の初競技サーフィンは一宮町の釣ケ崎海岸が舞台になる。

千葉市郷土博物館で市史編さんを担当している土屋雅人さん(38)は「54年前は大賀ハスを使い、千葉らしいおもてなしをした。何ができるかみんなで考える必要がある」。一宮町の担当者も、選手が都内に宿泊する見通しで、歓迎行事に時間的制約があるとしつつも「一宮を知ってもらうためにできることをやりたい」と意欲をみせた。

 

本日、千葉市花見川区朝日ヶ丘自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

千葉市椿森国立医療センターに通院治療をされ戻りました。