千葉市 「新生」千葉駅ビルは衰退する市街地を救うか
6月28日、千葉市中央区にある千葉駅ビル「ペリエ千葉」がグランドオープンした。2011年10月からはじまった建て替え・改修工事がほぼ終わり、本館と駅ナカ、ストリート(高架下)、ペリチカ(地下フロア)を合わせた延べ床面積は従来の約2.5倍に広がった。
近年、千葉市街では大型商業施設の閉鎖が相次いでいた。今回のペリエ千葉グランドオープンは、再びまちが活性化する起爆剤になれるだろうか。
■7年半に及んだ改修工事
6月28日朝、千葉駅東口の横で行われたオープニングのセレモニー。式典では、西田直人・JR東日本千葉支社長が「これまで7年間ご負担をおかけしたお客様、地域の皆様そして協力いただいた関係者の皆様にお礼を申し上げたい」、椿浩・千葉ステーションビル社長が「ペリエ千葉は2011年1月に建て替えのために閉館した。それから約7年半、本日新しいペリエ千葉がグランドオープンする。この間長きにわたって多くの皆様にご協力をいただき本日を迎えられた。感謝申し上げたい」とあいさつし、長期間の改修・建て替え工事を経てグランドオープンを迎えたことに万感の思いを示した。
また、スペシャルゲストとしてタレントの小倉優子さんが招かれ、「私は千葉県茂原市の出身で、ペリエ千葉は子どもの頃から何度も来ている。新しくなったペリエ千葉を家族で楽しみたいと思う」とコメントをよせた。
この日オープンしたのはペリエ千葉の1階、地下1階の部分の87店舗。2階より上は先行して開業しており、計277店舗が勢揃いする形となった。
ペリエ千葉は、1階にはフードコート、アパレル、生活雑貨などを展開し、幅広い年齢層の人々に親しまれるまちの玄関口としての役割を狙う。約300席を設けたフードコートにはファミリーや学生が訪れやすい店舗がオープン。カウンター席には充電可能なコンセントを配置した。
地下1階には成城石井や野菜・魚の専門店のほか、食料品店が集まる。千葉の野菜を販売する「農家の家 せんのや」やヴィレッジヴァンガードが運営する「こととや by HOME COMING(バイホームカミング)」、千葉県内の話題のスイーツ店舗が期間限定で展開する「CHIBA la mode」、カルビーの揚げたてスナックが食べられる「カルビープラス」などユニークな店舗が目白押しだ。
また「ペリチカバル」と名付けられた飲食店エリアも新たに設けられ、営業時間も23時までと遅めに設定されたことで会社帰りにお酒を楽しめるスペースとなった。
内装デザインにもこだわり、千葉各地の風景や観光名所のイラストを今回開業した1階と地下1階の至るところで見かけることができる。
また「千産千消」と題し、千葉産のものや、それを加工して作った商品を専用ステッカーでアピールする。
■「都心と千葉のミックス」意識
ペリエ千葉を運営する「千葉ステーションビル」の担当者によれば「From千葉」と「ラテソサエティ」をコンセプトに、都心の刺激的で先進的なスタイルと千葉の持つオーガニックなものやカジュアル感をほどよくミックスすることを意識したそうだ。また、今回オープンしたエリアでも、ファッションのエリアは年齢層を限定せずに店舗を配置することで商店街を歩いているような雰囲気を目指したという。
千葉ステーションビルによれば、この日は10時の開店から約1時間で今回の開業エリアにやってきた人は約5000名。市民の高い期待感がうかがえる。
このペリエ千葉の建て替え・改修工事は千葉駅の大改修工事と並行して行われた。1963年に今の位置に移転した千葉駅は、千葉ステーションビル(1985年に「ペリエ千葉」と改称)を併設した民衆駅(国鉄と民間が共同で建設し、商業施設などを設けた駅)となり、約半世紀にわたって利用されてきた。その間に千葉都市モノレールの千葉駅が1995年に現在の位置に開業したが、JRとの乗り換えはJRホームから一旦下に降りて改札を通り、再びモノレールの駅へ上がるという複雑な構造になった。
こういった構造に加え、老朽化や耐震補強の必要性など課題が増えてきたこともあり、JR東日本は2008年に千葉駅の改修を発表。JR駅を橋上駅とし、コンコースの拡張と千葉都市モノレールへのシームレスな乗り換え通路設置を行うとともに、駅ビルは建て替えを行うことを発表した。
工事は2011年に着工。施設設計の見直しを経て2016年11月に新しい駅舎とコンコースが開設され、駅ナカ施設として本屋やカフェなどの店舗が設けられた。従来の駅施設・コンコースから約1.6倍の大きさになったことで、開放感のあふれるコンコースとなり、さまざまな箇所に設けられた大型の発車案内板も見やすく配置され、従来に比べてとても利用者に優しい駅になったように感じられた。
ペリエ千葉は、駅ナカを含めると改札口完成から4回に分けてオープンした。3階より上のフロアを見ると、途中に水平部分のあるエスカレーターや柱の関係で通路やテナントがユニークな配置となっているフロアなど独特な構造が見られ、今回の工事の難しさをうかがうことができる。現在、残る工事は西口の橋上駅舎の工事だ。こちらも今年度中に終わる見込みで、まもなく完成を迎える。
■大型商業施設の閉鎖相次ぐ
さて、冒頭で述べたようにここ数年、千葉市街では大型商業施設の閉鎖が相次いでいた。
まず、2016年11月に千葉パルコが閉館。続いて2017年3月に千葉三越も閉館となった。
2館ともに、1991年に記録した過去最高の売上高から近年では4分の1程度にまで落ち込み、建物を借りて営業していた千葉三越に至っては「賃貸借契約の満了を待たず、違約金を払ってでも早く閉店するほうがよい」という判断での閉館だった。
もともと千葉市街は、現在の中央公園から県庁にかけてのエリアが中心だった。1894年の総武鉄道(現:総武本線)開通時には千葉駅が現在の千葉市民会館の横に設けられ、それに接続するように1896年に房総鉄道(現:外房線)が乗り入れた。また京成も1921年に京成千葉駅を現在の中央公園の位置に設けたことで、栄町から県庁前まで南北に中心市街地が形成されていた。
それを大きく変えたのは第二次世界大戦後の千葉市戦災復興計画であった。1946年に策定された同計画により国鉄千葉駅、国鉄本千葉駅、京成千葉駅の移転が計画され、国鉄も輸送力増強の観点や旧千葉駅のスイッチバック構造の解消を目的に計画に同意。国鉄千葉駅は1963年に現在の位置へ移転した。結果として中心市街地は駅から離れたところに取り残される形となる。
■にぎわう駅前、衰退する市街地
それでも1990年初頭までは、中心市街地の千葉銀座通り周辺に千葉パルコ以外にも扇屋ジャスコ、セントラルプラザ(元:奈良屋)、十字屋など大型商業施設が建ち並び、活気があった。だが1992年、千葉三越の並びにあった千葉そごうが駅を挟んで中心市街地とは反対側の現在位置に移転し、千葉駅からの人の流れを変化させたことをきっかけとして、中心市街地の求心力は徐々に低下していき、つぎつぎと大型商業施設が閉店していった。
一方で移転前の千葉そごう跡地には1995年にヨドバシカメラが出店し、駅前の求心力が急速に高まっていった。さらに2010年以降には郊外の大型商業施設の出店がさらに加速。パルコや三越が閉店し、ついに千葉の中心市街地に残る百貨店はそごうのみとなった。
こうした千葉のまちそのもの求心力が低下しかねない事態を受け、千葉市では2016年3月に「千葉駅周辺の活性化グランドデザイン」を定め、千葉市街の活性化を行おうとしている。ペリエ千葉を商業コアと位置づけ、周辺の再開発や中央公園や千葉銀座方面への「界隈性賑わい軸」を生み出すというものだ。
そうなると、ペリエ千葉のグランドオープンはまちにとてもよい影響を与えるのではないかと思える。千葉ステーションビルの椿浩社長も「今回の(ペリエ千葉のグランド)オープンによってまちとの回遊性がさらに高まり、多くのお客様にこの駅ビルをご利用していただく。そしてそのお客様方がまちへという新しい流れを作り、さらに千葉を元気にしていきたい」とコメントし、まちへにぎわいが広がっていくことに期待感をにじませた。
また、このペリエ千葉オープンに対抗するように、千葉そごうの別館「JUNNU」では昨年、体験型の売り場としてコト消費型のユニークな内装にリニューアルされており、高感度なセレクトブックショップなどが目立った。
データでもペリエ千葉開業による効果が見られる。昨年9月にペリエ千葉の2階から7階が先行オープンしたことに伴い、ちばぎん総合研究所が行った2017年10月の調査では、千葉駅前の通行量が前年比約30%増となっている。
■駅から市街地へ、回遊性広がるか
現在、千葉駅の東西で再開発組合による工事が現在行われている。東口のバスロータリーに面したエリアでは「千葉駅東口地区市街地再開発組合」が3棟のビルを1つにし、オフィスや商業施設などを入れた9階建てのビルを計画中。年内には着工し、2022年に完成する予定だ。ほかにも「千葉駅周辺の活性化グランドデザイン」に基づき、今後は三越があった西銀座地区で再開発を一体的に行い、徐々に駅から周辺のまちへ人の回遊を生み出していく計画となっている。
ペリエ千葉のグランドオープンで駅の機能も高まり、求心力のある施設も生まれた千葉。今後は人の回遊を駅だけではなく、まちへ広げられるかが課題だ。新しい千葉市街の姿はこれからつくられていくことになる。