市川市    ニッケコルトンプラザ24

市川市    ニッケコルトンプラザ

       市川市鬼高1-1-1

概要

日本毛織の中山工場跡地に立地しており、同社が運営も行っているため、施設名に「ニッケ」が入っている。東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線千葉方面の沿線地域では比較的大規模なショッピングセンターであり、店舗面積は50,000m2を越す。愛称はコルトンプラザ、コルトン。
ダイエーの主要店舗の一つであり、前身のプランタン時代からダイエー直営で運営されている唯一の店舗である。

1970年前後から日本毛織の工場跡地に大型SCを建設する計画があったが長らく出店するテナントが不明のままであった。
1979年(昭和54年)7月以降にダイエーの他にもイトーヨーカ堂と西友から核店舗としての出店を目指して日本毛織に対して申し入れを行っていた[1]。
そこで日本毛織は中山工場跡地16万8,300m2を再開発計画を具体化するため、1980年(昭和55年)4月16日付で中山開発準備室を開設し、1981年(昭和56年)4月にダイエーグループと基本協定書を締結した。
1982年(昭和57年)に地元との交渉をスムーズにする為に、日本毛織が入居予定のテナントがダイエーとプランタンであることを明かした。
1983年(昭和58年)1月に日本毛織が千葉県知事や市川市長、市川商工会議所会頭、市川市商店連合会長あてに提出した「大規模小売店舗出店計画書」では、オ・プランタン・ジャポン(33,100m2)とダイエー(19,800m2)を核店舗として専門店街(1万9,800m2)を加えた店舗面積7万2,700m2で駐車場2,000台と駐輪場2,000台を併設し、年間売上高約344億円を目指す大規模なショッピングセンターの計画であった。
この計画に対しては店舗規模が大き過ぎるとして反発が強かったため、1984年(昭和59年)6月に全体の店舗面積を約30%縮小して5万6,830m2とする計画に修正、1985年(昭和60年)11月には核店舗2店をカジュアルデパート1店へ減らすなど計画は大幅に縮小される形となった。
ところが、当初の計画の地上5階・地下1階の店舗面積に地元商店会などが反発し、地上4階の建物に変更した上で規模を縮小する形でダイエー側が譲歩した。
その後も、商店会からの反対意見は根強かったものの千葉県や市川市、市川商工会議所の仲立ちもあり1986年(昭和61年)に三条申請を行った。また、この当時のSCの仮称は「ニッケコミュニティーセンター」であった。
関東でプランタンを出店するのは、銀座を除きこれが初めてであった。
その後、入居するテナント数が131に決定、更に仮称であった「ニッケコミュニティーセンター」から「ニッケコルトンプラザ」に変更することが明らかとなっている。
開業当時の首都圏のショッピングセンターとしては大規模であったことから、開業当初は視察に訪れる人も多数あった。
開業初年度の売上高はオ・プランタンも専門店街も共に年間100億円を超えた。
核店舗のプランタンは1996年に現在のダイエーに転換。2014年11月29日にダイエー直営売り場をリニューアルし、翌年(2015年)以降展開される新業態「フードスタイルストア」の試験店舗となった。