松戸市    松戸市寺社

松戸市      松戸市寺社

 

江戸期に御朱印状を拝領した寺社
本土寺(天正19年10石)
松戸市平賀63
東漸寺(寛永13年35石)
松戸市小金359-1
日枝神社(5石)
松戸市和名ヶ谷822

 

 

本土寺|松戸市平賀にある日蓮宗寺院、あじさい寺、朗門の三長三本の本山

本土寺の概要
日蓮宗寺院の本土寺は、長谷山と号し、日蓮宗由緒寺院の一つです。本土寺は、豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として建治3年(1277)創建したといいます。天正19年徳川家康寺領10石の御朱印状を拝領、長栄山池上本門寺、長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本の本山」と称されます。境内には国指定重要文化財である梵鐘をはじめ数多くの伽藍が立ち並ぶ他、あじさいや菖蒲なども植えられており、あじさい寺とも呼ばれています。

本土寺の縁起
本土寺は、豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として建治3年(1277)創建したといいます。天正19年徳川家康寺領10石の御朱印状を拝領、長栄山池上本門寺、長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本の本山」と称される日蓮宗由緒寺院の一です。

 

松戸市教育委員会掲示による本土寺の縁起
長谷山本土寺は、建治3年(1277)豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として招き、開堂したのが起こりです。
本土寺は池上の「長栄山池上本門寺」鎌倉の「長興山妙本寺」とともに「朗門の三長三本の本山」と称される屈指の名刹で、松戸地方における日蓮宗の教団活動の中心とされました。
ここには日蓮直筆の書状類をはじめとして、松戸市域の貴重な中世史資料が数多く所蔵されています。
近年においては境内の整備がなされ、「あじさい寺」として市民にも親しまれています。(松戸市教育委員会掲示より)
「稿本千葉県誌」による本土寺の縁起
長谷山本土寺
同郡(東葛飾郡)小金町大字平賀字長谷に在り、境内八千百九十六坪、日蓮宗なり。寺傳に云ふ、文永七年本地の小目代陰山土佐守深く日蓮に帰依し、草堂を神野(今字堂屋敷と云ふ)に結び、日蓮を請じ法義を聴聞す、これを本寺の創始とす、建治三年之を下那井谷に移す、時に日蓮大曼荼羅一幅、九條の袈裟一領、念珠一連を寄せ、本堂を名つけて長谷山本土寺と曰ひ、弟子日朗をして開基たらしむ、後日朗之を弟子日傳に譲る。延慶二年千葉貞胤の夫人某立願する所あり、六平賀(本平賀・殿平賀・東平賀・久保平賀・上総平賀・片田平賀)の地を寄せたり、天正十九年徳川家康朱印地十石を寄附し、山林等の諸役を免ず、本寺の過去帳は史料に資すべく古来有名なりと。(「稿本千葉県誌」より)

 

東漸寺|松戸市小金にある浄土宗寺院

 

東漸寺の概要
浄土宗寺院の東漸寺は、仏法山と号します。東漸寺は、経譽愚底運公上人が根木内に文明13年(1481)創建、天文年間に当地へ移転して中興、浄土宗の関東十八檀林として浄土宗の学僧教育を担ったといいます。寛永13年江戸幕府より寺領35石の御朱印状を拝領、末寺35ヶ寺を擁していたといいます。下総三十三ヶ所観音霊場9番です。

東漸寺の概要
山号
仏法山
院号

寺号
東漸寺
住所
松戸市小金359-1
宗派
浄土宗
葬儀・墓地

備考
東漸寺幼稚園併設、関東十八檀林の一つ

 

東漸寺の縁起
東漸寺は、経譽愚底運公上人が根木内に文明13年(1481)創建、天文年間に当地へ移転して中興、浄土宗の関東十八檀林として浄土宗の学僧教育を担ったといいます。寛永13年江戸幕府より寺領35石の御朱印状を拝領、末寺35ヶ寺を擁していたといいます。
「稿本千葉県誌」による東漸寺の縁起
佛法山一乗院東漸寺
同町(東葛飾郡小金町)字境外に在り、境内五千八百八坪、浄土宗なり、文明十三年僧愚底根木内村に創建す、愚底は信濃筑摩郡洗馬の人、長瀬氏にして増上寺第三世僧聖観に従學し、寛正の初め本郡鷲野谷村に来りて舊刹を興復し、東光山安楽院醫王寺と號す、文明十三年根木内村に来り、染谷氏と謀りて本寺を創建し、同十四年六月六日寂す。天文中五世僧元禿其の地狭隘にして且堂宇敗壊せるを以て、小金城主高城胤吉に請ひ、今の地に移し、大に殿宇を興し一大叢林となす、之を中興と稱す、元禿永禄十年四月二十一日寂す。第七世遊嶽の時十八檀林に列す、遊嶽は高城胤吉の第二子なり、寛永十一年閏二月十三日寂す。年八十六。第九世僧的山の時同十三年十一月徳川氏寺領三十五石を付す。本堂廣さ十二間、深さ九間、元和中八世僧重擔之を再營し、延寳八年十四世僧願海之を改修す、享保七年七月廿世僧慈空また之を修造す。本堂の右に正定院あり、享保二十年六月僧源空の像を迎へ、江戸深川の人海保盛之(半兵衛)別堂を營みて之を置く、即ち此の堂なり、俗に大師堂又念佛堂と云ふ。其の南に圓通閣あり、観音像及び一切経を蔵す。本堂の左に鐘楼あり、鐘長さ七尺周圍一丈餘、元禄三年十一月改鋳する所なり、楼上釋迦及び十六羅漢像を置く、扁額あり、佛法山明史何精甫書と記す、十四世願海の時内藤左京の寄附せし所なり。毎歳四月二十三日より二十五日に至るまで大法要を修し、緇素群を為す。文政三年四十一世僧観仰東漸寺史を著し顛末を悉くす、境内喬杉密茂して一層其の森巌を添ふ。

 

本日、松戸市稔台自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

松戸市松戸 伊勢丹松戸に行かれました。