浦安市 【FACEちば人物記】ジャズトランペット奏者・外山喜雄さん(74)
■素晴らしきかな、サッチモ
浦安市の秋の洋風酒場にはご機嫌なジャズが流れる。演奏するバンドは「外山喜雄とデキシー・セインツ」。トランペットを吹く外山さんに若い女性らが笑顔で体を揺らし、満員の客席からは「最高」との声があがる。
外山さんは今年8月、ジャズの聖地である米国南部ニューオーリンズで開催された音楽祭でジャズ界の巨星、ルイ・アームストロングの愛称、サッチモの名を冠した生涯功労賞を日本人として初めて受賞した。
「何も知らされていなかった。びっくり仰天です。(亡くなった)サッチモが天国からいたずらしているのかと思った。涙がこぼれそうになった」
音楽好きの少年だった。中学時代にトランペットを手に入れ、自己流で吹き始めた。早稲田大学に進学後、ジャズ系サークルに入り、その頃、ルイ・アームストロングが来日した。コンサート会場に行き、「どうしても会いたい」と楽屋に潜り込んだ。ドアをノックすると、独特のしわがれ声でジャズ界の巨匠、アームストロングが会ってくれた。運命の出会いだった。アームストロング愛用のトランペットが楽屋で燦然(さんぜん)と輝いていた。許可を得て手にとった。たまらなくなり思わず吹いてしまった。これが本格的にジャズの世界に入ったきっかけになったという。
外山さんは卒業後、同じジャズ系サークルにいた恵子さんと結婚。就職1年半後に退社して、ニューオーリンズに“武者修行”の旅に出た。「ジャズにほれ込んだ。夢を追いかけたかった。その先どうなるか、考えなかった」という。
昭和40年代、航空運賃はとても高かった。外山さん夫婦は移民船に乗り込み、太平洋を渡った。そして憧れのニューオーリンズに到着。現地では窓ガラスが割れ、照明器具もない、安アパートを借りた。あまりのひどさに恵子さんは泣き出した。夜には小さなホールで男たちが熱く演奏しているジャズの音色が聞こえてきた。
5年後、日本に戻った外山さんはバンドを結成した。ディズニーランドなどで演奏し、「日本のサッチモ」と呼ばれるようになった。
人生の再出発となったニューオーリンズを外山夫婦が再び訪れると、銃犯罪が多発して麻薬が蔓延(まんえん)するなど街は荒廃していた。「衝撃でした。少年が銃犯罪に巻き込まれる。学校には満足な楽器がない。お世話になったニューオーリンズに恩返しをしたかった」と外山さん。
犯罪をなくすため「銃に代えて楽器を」をキャッチフレーズに日本で支援活動を始めた。呼びかけに応じて楽器や寄付金が続々と集まり、これまでに約850の楽器を贈り、ハリケーンで被災したニューオーリンズの復興支援活動にも取り組んだ。
外山さんはこう言う。「困ったときもあった。でも、いつも応援してくれる人が現れ、うまくいっちゃう。サッチモが『おれのラッパを吹いたやつ』(外山さん)を見守り、天使を送り込んでいるみたいです」(塩塚保)
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【プロフィル】外山喜雄
とやま・よしお 昭和19年、東京都港区出身。早稲田大学卒。浦安市在住。ジャズの本場、米国・ニューオーリンズで修行。その後、バンド「外山喜雄とデキシー・セインツ」結成。日本ルイ・アームストロング協会会長。印象に残る映画は「フィールド・オブ・ドリームス」。
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