船橋市   ドイツ軍人慰霊祭 

船橋市    俘虜収容所長は西郷隆盛子息 ドイツ軍人慰霊祭

 

第一次世界大戦の終結100年を迎え、当時、捕虜となって習志野俘虜(ふりょ)収容所で亡くなったドイツ軍人30人を追悼する慰霊祭が18日、船橋市営習志野霊園(千葉県船橋市習志野)で営まれた。

参列したハンス・カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ大使は「日本の霊園にドイツ兵が葬られていることに、心の底からありがたいと思う。戦争を二度と繰り返してはならない。慰霊祭はドイツと日本の国民の深い友情の表れだ」とあいさつ。参列者は次々と慰霊碑に献花した。

慰霊祭では県立千葉女子高オーケストラ部と習志野第九合唱団有志がドイツ国歌の演奏などを行った。

第一次世界大戦で日本は日英同盟により連合国側に加わって参戦した。中国・山東省のドイツ租借地(そしゃくち)、青島(チンタオ)を攻略。多くのドイツ将兵が捕虜となった。そのうち約1千人が習志野に収容された。当時の所長は明治維新で活躍した西郷隆盛の息子、西郷寅(とら)太郎陸軍大佐だった。ドイツの陸軍士官学校に留学した経験を持ち、ドイツに対して深い理解を示し、人道的な対応を取ったという。

捕虜たちも勤勉だった。野外ステージや菜園を整備し、ドイツ料理を調理。テニスなどのスポーツも盛んに行われ、オーケストラを結成し、演奏会も開いた。また、ソーセージ職人がいて日本の技師に製法を伝授し、地元住民とも交流したと伝えられる。

千葉県日独協会の金谷誠一郎会長は「ドイツの食文化が日本に伝わるなど収容所が果たした役割は大きかった。これからも民間交流を活発に進めていきたい」と語った。