≪人為的に作られた歴史の「責め」≫
「また韓国がゴールポストを動かした」と、慰安婦問題をめぐる韓国・文在寅政権の対応に日本人があきれている。一度交わした約束は何があろうと守る-という日本文化の琴線に触れる価値が無視されたから、日本人の多くが怒るのは当然だ。
私は安倍晋三政権の対韓姿勢が成果を上げたと評価している。これまでの対韓外交が失敗してきたのは、日本側のせいでもあった。繰り返し謝罪し、人道的配慮を示してきた結果、まだ日本は譲歩すると相手に思わせ、それが弱みとなった。つまりゴールポストを先に動かしたのは日本だったのだ。
安倍政権は「慰安婦合意は1ミリも動かさない」と従来の姿勢を転換した。このため朴槿恵政権よりもっと反日色が強い文在寅政権でさえ合意を破棄せず、再交渉も求めないという最低限のラインを守らざるをえなかった。
教科書問題や慰安婦問題などの歴史認識が外交の課題とされ、日本が責められるという構図は、被害感情を原因とする自然発生的なものではなく、人為的に作られたものなのだ。
感情は時間がたてば鎮まっていく。世代交代が進み、その時代を経験しない者が社会の主流になれば過去への感情は弱まる。それが自然の流れだ。ところが、慰安婦問題が外交に持ち出されたのは戦後すぐではなかった。日韓が国交を持ったのは戦後20年たった後だ。そのときでも慰安婦問題は議題にすらなっていなかった。ところが、戦後45年以上たった1990年代初めに外交問題化した。誰がどのようなプロセスで慰安婦問題を持ち出したのか。次の4つの要因があった。
≪原因の多くは日本国内にあった≫
第1に、日本国内の反日マスコミや学者、運動家が事実に反する日本非難キャンペーンを行った。91年に朝日新聞と運動家、弁護士らが吉田清治証言などを使い強制連行キャンペーンを張った。
第2に、それを韓国政府が正式に外交問題にした。当時の盧泰愚政権は日本に求めていた貿易赤字解消のための先端技術移転交渉の道具として、慰安婦問題を首脳会談で取り上げた。一方、北朝鮮に近い韓国内の左派は慰安婦支援組織に入り込んで、日韓関係悪化を目標に政治運動を続けた。
第3に、わが国外交当局は反論もせず、先に謝罪し、人道的配慮などの名目で経済的支援を実施した。朝日新聞のキャンペーンに煽(あお)られた当時の宮沢喜一政権と外務省は強制連行の有無を調べもせずに、首脳会談で8回も謝罪した。「河野談話」「村山談話」でも謝罪を繰り返し、アジア女性基金を作って人道的支援を行ったが、かえって事態は悪化した。
第4に、内外の反日活動家が事実無根の日本非難を国際社会で拡散させた。92年、国連に最初に慰安婦問題を「性奴隷」だと持ち込んだのは日本人弁護士だった。彼らの執拗(しつよう)な働きかけの結果が、「慰安婦は性奴隷」と明記した96年のクマラスワミ報告である。
これを足がかりに2007年の米下院決議などが続き、それを使って再度、韓国の活動家らが韓国憲法裁判所へ提訴。同裁判所が11年、韓国政府が慰安婦問題を外交上取り上げないことは憲法違反だとする判決を下した。
この4つのうち、第1と第3は日本国内で起きている。また第4の担い手の中にも日本人が多く含まれる。つまり、日本国内の問題が大きな比重を占めているのだ。
≪揺るぎない安倍政権を評価する≫
この枠組みで日韓合意をめぐる安倍外交を見ると、15年12月の慰安婦合意では、第3に当たる謝罪と人道支援を行った。しかし、韓国政府に「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明させたことは、こちらからも要求を出すという点で過去の外交姿勢と異なっていた。
昨年12月に韓国が公開した慰安婦合意の検証結果によると、合意には非公開部分があり、そこで日本政府は「性奴隷」という言葉を使わないことと、海外での慰安婦像設置を支援しないことを求め、韓国側も事実上、それを受け入れていた。言うべきことは言う姿勢は、これまでなかったものだ。
今回、安倍首相以下、政府幹部は口をそろえて「慰安婦合意は動かさない」と断じた。その姿勢が文在寅政権に「合意破棄や再交渉はしない」と言わせたと見るべきだ。「河野談話」「村山談話」、アジア女性基金などで先に誠意を見せたときには事態は悪化したが、抗議の姿勢を示した途端、相手は一歩下がった。国際社会では相手に配慮し先に謝罪するという“美風”は通じない。
相手がウソをついてわが国と祖先の名誉を傷つけた場合は抗議した上で、事実に基づいて反論しなければならない。その意味で今回の安倍政権の姿勢は評価できる。
今後も韓国に対して、日本大使館や総領事館前の慰安婦像移転、「性奴隷」という言葉の不使用、海外での慰安婦像設置を支援しないなど、慰安婦合意の誠実な対応を求め続けていくべきだ。