米中貿易戦争「トランプの決断」が、中国経済の息の根止める可能性

米中貿易戦争「トランプの決断」が、中国経済の息の根止める可能性

7月6日金曜日、トランプの米国は340億ドル分の対中輸入への25%関税引き上げを遂に実行に移した。

翌月曜日、固唾を飲んで株式市場を見ていた者達は、グローバルな株高で拍子抜け。同じことは10日、米国が更に2000億ドル分もの品目に関税引き上げを予告した後にも繰り返された。

中国も6日に対抗措置を発動したものの、時我に利あらずと見たか、騒がしい反米宣伝は一切なし。6月22付『環球時報』(『人民日報』系で当局に近く、ナショナリズムを前面に出した新聞)も、米中の力の差がまだある今は隠忍自重が肝要と国民を説いた。

西側では、「グローバル・サプライ・チェーンが発達した現在――つまり米国その他外国企業が米国向け消費財を中国で製造している現在――、米国は対中輸入を容易に制限できない」という言説もあったが、スマホなど米企業が中国で組み立て米に輸入している消費財は、米国の措置から注意深く除かれている。

結局2500億ドル分の関税引き上げは、米国の中間選挙に向けて、中西部のトランプ支持層へのジェスチャーの要素が強く、選挙を前にして株の暴落を起こすような事態にまではもっていかない、米中は適当なところで手を握り、中国は経済成長を続けていく、ということなのだろうか?
中国の成長モデルの崩壊
強者は、弱者に与えたダメージの深さに時として気づかない。

トランプ米国が多くの抵抗を押しつぶして、製造業・先端技術をここまで囲い込む決意を示したことは、中国のこれまでの輸出主導成長モデルが無効になったことを意味しているのではあるまいか?

中国の指導部に自国の経済の実体がわかっていれば、1985年のプラザ合意で日本が輸出主導モデルを否定されたのと同等の衝撃を感じていてしかるべきだ。

中国経済は鄧小平の開放路線を受けて、外資が急速に流れ込み、それが輸出を急増させて天文学的な貿易黒字を生み出した。中国はこれを糧に高度成長を続けたのである。

外国からの直接投資と貿易黒字の合計額は2000年代で毎年3000億ドル超、つまり当時の中国のGDPの15%分にも相当し、この資金はさらに国内のインフラ投資で乗数効果を発揮して、驚異の高度成長を現出した。

そして2008年のリーマン金融危機で輸出が一時的に激減すると、財政支出と国有銀行からの融資合計60兆円分を経済に投入し、しばしの苦境をしのぐ。今では、貿易黒字はまた空前の水準に戻っている。

中国は2010年、GDPで日本を抜き、現在は米国GDPの約60%分にまで迫っている。世界はこの数字で目がくらみ、中国が世界一の経済大国になるのも間近だと思い始めた。

経済の実力より「見てくれ」に目を奪われがちの中国人も、中世の明・清王朝の勢威を取り戻す「中国の夢」――中国人の夢は米国に移住することだと言う、斜に構えた中国人もいるが――を声高に言うようになった。

しかし中国は、「米国に先端技術製品を輸出して稼ぐ」モデルを奪われた今、成長力を維持していけるのか?

中国の輸出の50%は外資企業によるものと推定されている。そしてその外資企業は、今回のトランプの措置を見て、中国への更なる投資は控えるだろう。

中国人は胸を張って言う。「大丈夫。中国には14億人の市場がある。これからは消費で経済を伸ばしていけます」と。本当にそうか?

中国の消費はGDPのまだ40%内外なので 、米国の70%と比べれば伸び代は確かに大きい。しかし外資系企業の縮小で数百万の失業者が出れば、消費を増やすどころの騒ぎでなくなる。

経済成長率はこの数年、とみに低下の傾向を示している。市場が大きいと言っても、そもそもカネがなければ増産のための投資もできないだろう。

うさん臭い中国の「技術力」
さらに、中国の技術開発の実力には胡散臭いものがある。中国ではインターネットを使った電子商取引や、シェア自転車などの新しいビジネス・モデルの伸長は著しい。しかしそれはモノ、つまり製造業の産物を右から左に動かして口銭を取るモデルに過ぎない。

肝心の先端技術製造業では、小米、華為等一握りの企業を除いては、自力で世界の先頭に立っていける企業は少ないように見える。

先端技術製造業での実力をつける上では、中国人の多くに見られるいくつかの「癖」が足かせとなろう。

1つは既に指摘した、「見てくれ」だけに目を奪われて、ものごとの本質を見逃す癖だ。たとえば、先端技術製品の工場を作って「カネで」外国人技術者を招聘するのはいいのだが、目先の生産技術向上にだけ目を向け、研究開発面での人材獲得を怠るので、次世代の技術の開発・生産に結び付かない。

もう1つは王朝時代からの弊だが、「政府」が経済で果たす役割が大きすぎ、経済の効率を下げている。と言うか、経済を政治、さもなければ投機行為に変えてしまう例が多すぎる。

中国では電気自動車(EV)が今フィーバーで、車載用電池を初め、中国企業の台頭が著しいように報じられる。

その一部は事実だろうが、EV・電池の技術はまだ未熟で、本格的投資は時期尚早なのだ。それなのにフィーバーが生じているのは、中国政府が生産、購入の両面にわたって手厚い補助金・助成金をばらまいているからだろう。

補助金をもらうためにだけ、何かをしたかっこうをしてみせる者も多いのが中国社会。

商標を海外で登録するのに補助金が出るので、このところ中国企業による出願数はうなぎのぼりだ。「ブランドを育成する」ための補助金狙いなのである。

そして今中国は、若者によるスタート・アップ起業が日本など及びもつかないフィーバーぶりだが、その背景には2015年以来、地方政府などによる起業支援が打ち出されたことがある。これらは、実効性のある事業と言うより、投機に近いものである。

そして政府予算に依存した巨大プロジェクトのオンパレード。

専制社会の建造物は、どこでも不必要に大きく、人を威圧するが、ソ連では工場もそうだった。「2つ、3つの工場で国全体の需要を賄う」のが効率的なのだと思い込み、建物が1キロメートル四方もあるようなお化け工場をいくつも建てたのである。

中国にも、ソ連の計画経済の悪弊がいくつも残っている。今、5000億円、あるいは1兆円もかけて有機EL製造工場等建設といった発表が相次いでいるのもそうだろう。

「中国製造2025」という先端技術重視の習近平路線に則って工場建設案件を打ち出せば、まずそれを提案した官僚――国営企業だから「官僚」なのである――の評価が上がる。予算も銀行融資も獲得しやすい、その一部は地方政府が別の目的で使えるようキックバックする、そしてあわよくば、いくばくかを米国に送金、将来自分で使えるようにしておけるかも――こういった計算が現場では渦巻いているに違いない。

中国の経済の多くの部分は「経済」であるよりも「政治」、そして投機行動なのだ。

以上、悪い面ばかりに注目したが、トランプのせいで中国経済が輸出主導モデル再構築を迫られていることは間違いあるまい。

そのマグニチュードは、1985年のプラザ合意で輸出主導から内需主導の成長モデルへの転換を強いられた――今でも転換できていないが――日本が受けた衝撃以上に大きなものになるだろう。

中国には、国民の不満のガス抜きをする、選挙という便法がないことも、社会に圧力を溜めこみやすい。

中国も日本のようになるのか
中国経済の曲がり角は、日本にとってチャンスなのか?

そうではあるまい。もともとプラザ合意後の円高で、低賃金の中国で生産して世界に輸出するモデルを開発した日本の製造業にとっては、米国の対中関税引き上げは、日本製品への関税引き上げに等しい。

日本企業は、対米輸出の基地をどうするか、中国から第三国に移すか、日本に戻すか、あるいは米国内に移転するかの選択に迫られる。

日本は、米に迫って斬り捨てられた点では、中国よりはるかに老舗。

プラザ合意での製造業の空洞化、1986年日米半導体協定での半導体産業の没落、米国企業によるアウトソーシング方式採用による日本の電機・電子産業の没落と、モグラたたきのモグラのように首を出すたび叩かれて、今度は残った自動車輸出まで最後の一撃を受けようかという時。

中国が米国にやられて喜んでいる場合ではない。米国に叩かれて、対策に窮している点では、中国と同一線に並んでいるのだ。

トランプ米国は、戦後世界で米国がまだ維持している力を露骨に使って、競争相手を押し込める。

米国法、あるいは米国政府の措置(例えば対ロ制裁)に反することをする外国企業があれば、たとえそれが第三国で行われたことであっても、米国政府、あるいは裁判所が制裁措置を取る。

外国企業はこれに従う義務はないのだが、従わなければ米国内でのビジネスが禁じられてしまう。たとえ米国内でビジネスをしていなくとも、米国政府が米国企業・銀行に対して、その外国企業との取引を禁じてしまえば、その外国企業は貿易のドル決済、つまり貿易の殆どができなくなる。

ということなので、トランプ米国――今の情勢では2期8年はやるものと覚悟する必要がある――とは提携を強めて生き残る術を探るしかあるまい。

日本人は英語ができないので、米国の第51州になるのは無理、せいぜい自由貿易協定を結ぶくらいだろう。必需品を輸入できるだけの外貨を輸出で稼ぎながら――それは高級車、先端技術部品、特殊機械類で――、成長は国内のサービス産業中心にはかっていく。

日本が活力を取り戻す法
トランプは自身の再選のため、米国経済の建て直しに注力する。北朝鮮やロシアなどの敵対国とは、不必要な対立を減らすことで、米国への脅威を減らす。そして同盟国には、経済でも安全保障でも米国への依存度を減らすことを強く求めるのだ。

戦後、米国主導のグローバル自由貿易体制を享受し、輸出、そして日本の政府・公営企業の需要に強く依存して生きてきた日本企業は企業のあり方も含めて新たな境地を切り開いていかないと、東は米国、西は韓国・中国そしてドイツの企業にどんどん押しこめられ、窒息してしまう。

それなのに日本企業の多くは、世界を見つめて新たな方向を見極める力、そしてそれにカネとヒトを集中する体制が欠けている。

日本の企業が「選択と集中」ができないことは、多くの人に指摘され、その原因も事業部間の対立等、いろいろと議論されている。

しかし現場の話を聞いてみると、どうも一番重要な要因が明るみに出されていないようだ。それは、日本の大企業の多くに見られる、「社内の人脈・権力構造に波風を立てないこと」への固陋なまでの配慮ぶりだ。

どういうことかと言うと、日本の企業は営業部、財務部、総務部、あるいは開発、製造、営業のように、いくつかの「組」あるいは「流」に分かれている。社員はいずれかの組に入社から退職まで属して、出世の階段を昇っていく。ほぼ定期的、数年ごとに、各組のトップが社長の座についていくが、それはもう何年も前から決まっている。

こうなると、社員にとって最も重要なのは、20年先の社の運命よりも、自分の組のトップに立っている者の力を維持し、何年か先には「予定通り」社長の座に押し上げることで、自分自身の出世も確保することとなる。

そして自分の組のトップが社長を務めている間は、とにかく「大過なく勤め上げる」ことが最重要。いちかばちかリスクの高い投資案件は、失敗すれば責任を負わされるので、判断を先送りにしがちだ。どんなに儲かっている部門でも、それが傍流ならば、本体の命を細々とでも長らえさせるために売り払って愧じない。

どの国のどの企業でも、それなりの硬直要因を抱えているだろう。しかし日本の場合は、ひどすぎる。

社長の一存では社を大きく変えられないから、太平洋戦争と同様、有無を言わさず総崩れにならないと、変わるまい。

とは言え、新しい芽はいくつか出ている。ニトリ、アイリスオーヤマ、プリファードネットワークス、家電のシリウス、こうした新しいビジネス・モデルを持つ企業に、今多くの面で曲がり角にある地銀、都銀が長期融資を用立てて行けば、戦後の活気の再現も夢ではない。

日本の大企業のいくつかが曲がり角にある中、外資系企業に就職する若者が増えているが、その企業の本体の幹部になれる者は稀である。

大多数は中途半端な人材として扱われ、逼塞した環境で足の引っ張り合いに終始する者も多いと聞く。

中国人の夢は米国に移住することかもしれないが、英語力に難のある日本人は米国ではやっていけない。頑張らないと、二流、三流となった日本で、外国人に顎で使われる存在に堕してしまうだろう。