千葉市 ブリオベッカ浦安、“J5”の挑戦劇。
日本だけでなく世界的にも異色と言っていいコンビが、2018年のサッカー界に誕生した。
関東リーグ1部のブリオベッカ浦安が、車イスの監督と元スポーツカメラマンのコーチのもとで、2018年シーズンを迎えたのだ。
監督の羽中田昌(はちゅうだ・まさし)は、1980年代前半の高校サッカーのスター選手だった。将来の日本代表入りを期待されていた逸材は不慮の事故で選手生命を絶たれるが、’93年のJリーグ開幕を契機に指導者への道を志す。
’95年には、ヨハン・クライフが監督を務めるFCバルセロナのサッカーを体感するために、妻のまゆみとともにスペインへ留学した。クライフは少年時代からの羽中田の憧れであり、彼のサッカー観にできるだけ近くで触れたいとの思いが渡航の原動力となった。
現地では聴講生の立場でコーチングスクールへ通い、帰国後に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。監督として四国リーグ当時のカマタマーレ讃岐を皮切りに奈良クラブ、東京23FCと、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を目ざす立場のクラブを率いてきた。
コーチには、元編集者・カメラマンの鈴井智彦。
自身4チーム目となるブリオベッカ浦安の監督就任にあたって、羽中田はバルセロナ留学当時からの知人にコーチ就任を打診する。大分トリニータU-18監督だった鈴井智彦である。
東海大学サッカー部OBの鈴井は、サッカー専門誌の編集者を経てフリーのスポーツカメラマンとなり、’95年から2008年までバルセロナで過ごした。ハンブルガーSVでプレーしていた高原直泰の写真などで『Number』の表紙を飾ったこともあったが、帰国後はサッカー指導者へ転身する。
JFL当時のFC琉球を起点にブラウブリッツ秋田U-18監督、J3当時の栃木SCのトップチームコーチを経て、’17年は大分U-18の監督を務めていた。指導者ライセンスも、S級に次ぐA級を保持している。
「やりたいサッカーの根本はバルサ」という共通点。
鈴井が携わってきたチームのサッカーを、羽中田は一度も観たことがなかった。それでも、コーチを依頼することにためらいはなかった。
「バルセロナで僕が見たもの、味わったものを、彼なら理解してくれるんじゃないかと思ったんです。指導者として仕事をしているところは見ていないけれど、久しぶりに会って話をしてもお互いに共感できていた。僕がやりたいサッカーの根本にあるのはバルサで、それは彼も同じですから」
53歳の羽中田の思いを、46歳の鈴井は両手で大切に受け取る。
「羽中田さんがやりたいものは、僕のやりたいもの。迷うことなくコーチをやらせてもらいました」
ブリオベッカが、敵だった羽中田に感嘆。
羽中田が標榜するサッカーは、チームが目ざす方向性とも重なり合う。
2015年の関東リーグ1部で、羽中田が指揮していた東京23FCはブリオベッカ浦安と対戦している。結果は浦安の1勝1分けに終わったが、勝利チームの監督だった齋藤芳行は複雑な気持ちを抱いた。
「内容的には2試合とも我々の完敗でした。目ざすサッカーにこれだけこだわっているのか、という印象を強く受けました。リーグ戦で結果を出していかないといけないけれど、羽中田監督のもとでなら過程を大事にできると思ったんです」
JFLで戦った’16年と’17年シーズンのブリオベッカ浦安は、千葉市、柏市、習志野市などでホームゲームを開催した。JFLの試合は天然芝のスタジアムで開催することになっているが、彼らの主戦場は人工芝だったからである。
しかし、ホームタウンから離れることで、観客動員は苦戦を強いられた。関東リーグからのリスタートとなる’18年シーズンは、浦安市のスタジアムに観客を呼び戻すことも大切なミッションだ。
地域の人が「また見たい」と思うサッカーを。
’18年シーズンはゼネラルマネージャーとしてチームの強化に携わる齋藤が、引き締まった表情を浮かべた。
「今年はまた浦安へ戻って試合ができます。そのときに、地域の人たちが『またこのサッカーを見たいな』とか『次の試合でも応援したいな』と感じてくれて、育成組織の子どもたちに『自分もこのサッカーがしたいな』と思ってもらえるようなチームを、羽中田監督なら作ってくれるのではないかと。見ている人たちの脳裏に焼き付いて、またスタジアムへ足を運ばせるようなサッカーを」
10チームが2回戦総当たりで争う関東リーグは、J1を頂点とするカテゴリーで言えば“J5”に相当する。大学生のチームも混在するリーグだが、ここ数年は競争力が高まっている。
昨シーズン優勝のVONDS市原FC、同3位の東京ユナイテッド、ブリオベッカ浦安とともにJFLから降格した栃木ウーヴァFCらは、元Jリーガーやプロ契約選手を増やして戦力アップをはかっている。昨年まで羽中田が率いた東京23FCも、優勝争いに加わってくると予想される。
ほとんどの選手は仕事との兼業。
一方のブリオベッカ浦安は、ほとんどの選手が仕事を持ちながらサッカーに取り組んでいる。東京ユナイテッドの元日本代表DF岩政大樹のような、サッカーファンに広く知られた選手もいない。
ライバルは多い。ハードルは高い。それでも、羽中田は濁りのない笑みを浮かべる。
「難しい仕事のほうが、やり甲斐があるじゃないですか。選手たちがピッチ上で輝けるようなサッカーを、スタッフも含めてみんなで作っていきたい。都並さんもどんどん意見をしてくれるので、それもすごくありがたいんですよ」
ブリオベッカ浦安のスタッフには、テクニカルディレクターとして都並敏史が名を連ねている。
ふたりの出会いは、40年近く前までさかのぼる。18歳の都並が招集された日本ユース代表候補の合宿に、高校進学を控えた中学3年の羽中田が特別に参加した。戸惑いを抱えながら懸命についていく15歳を、何かと気にかけたのが都並だったのである。
異色のコンビが、関東に風を起こす。
元日本代表にしてJリーグでの監督経験を持つ都並は、適度な距離感で羽中田や鈴井、選手たちとコミュニケーションをとっている。相手が自然と引き寄せられるような空気感を、この56歳は持っているのだ。
「僕も監督をやったことがあるから分かるんですけれど、色々な意見を言ってくれる人が集まっていたほうがいいんです。もちろん、羽中田監督のサッカーは尊重しています。関東リーグでの監督として戦ってきた経験もあるし、ポゼッションを大事にする彼のスタイルで結果を残してほしいですね」
ウィークデーの午前中に練習し、週末は関東近郊へ練習試合に出かけながら、ブリオベッカ浦安は4月初旬の関東リーグ開幕へ備えていく。遠方での練習試合では鈴井と伊藤竜一GKコーチがマイクロバスのハンドルを握り、選手たちの移動手段とする予定だ。羽中田らと同じく新任の伊藤も、明るく前向きなムードを作り出す。
異色のコンビを中心としたチームの熱気は、真冬の寒ささえも溶かすほどである。
本日、千葉市花見川区朝日ヶ丘自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
千葉市美浜区ひび野ホテルニューオータニ幕張に行かれました。