松戸市  清原和博 独占手記 このまま死んでしまいたい

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清原和博 独占手記 このまま死んでしまいたい――逮捕から2年半の地獄をすべて語る【全文公開】

5月の末に、1985年夏の甲子園で優勝した時に使っていたバットが手元に戻ってきたんです。これまで甲子園歴史館に飾ってあったもので、2016年2月に僕が薬物の使用で逮捕された後は撤去されて、歴史館の倉庫に眠っていました。

僕は今まで何千、何万本ものバットを手にしてきたと思いますが、今現在、自分の手元にあるのはこの一本だけです。プロに入って、2000本安打を打ったり、500本塁打を打ったり、いろんな記念のバットはすべて、お世話になっていた人に感謝の気持ちとしてあげてしまいました。ただ、やっぱり甲子園のあのバットだけは……高校3年の、最後の夏の、あの大会用だけにおろして、あの忘れられないホームランを打てたバットだったんで、重みも全然違うんです。

プロに入った後、歴史館から、展示用に貸してほしいと言われて、提供していました。ただ、事件の後に展示されなくなってからは、誰にも見られず、暗い倉庫に閉じ込められていると耳にしていました。あのバットのことを考えると胸が痛くなって、弁護士さんを通じて、何度か返してもらいたいという連絡をしていた。それがやっと僕の手に戻ってきたんです。

バットが戻ってきた日、いろいろな記憶がよみがえりました。プロではずっと木製のバットで、それに慣れていましたから、久しぶりに金属バットのグリップを握ると、そこに巻いてある革の質感がすごく懐かしくて……ああ、これだ、そうだったな、という風に、忘れていた感覚や景色が脳裏に浮かんだんです。

こんな重いバットをあんなに軽々と振り回していたのかと高校時代の自分に驚きました。僕は今、筋肉が落ちてしまっていて力がないので、余計にそう感じたんだと思います。