船橋市 ロヒンギャ問題
ミャンマーはビルマ族7割、少数民族3割の他民族国家
なぜここまでロヒンギャへの執拗な迫害が続いているのでしょうか? ミャンマーの歴史と社会構造を知ることが、この疑問に答える手がかりになるでしょう。
先ほどの国籍法の説明の際にすでに気がつかれた方もあると思いますが、ミャンマーは約7割のビルマ族と約3割の少数民族からなる多民族国家です。大きく分けると8大民族が数えられるといわれていますが、より細かい分類をすると、民族数は100を超えるのだそうです。ですから、国籍法でも1823年までに居住していた、135の民族が「国民」ということになるのです。
この8大民族の居住地域と人口に占める割合を説明すると、ミャンマーの中央に最も主要な民族であるビルマ族(約69%)が位置しており(ビルマ族がおもに居住しているのは7管区)、北部の中国とインドの国境に挟まれた地域にカチン族(約1.4%)、中国、ラオス、タイと国境を接する北東部にシャン族(タイ語系民族の総称:約8.3%)、その南側のタイ国境にカヤー族(約0.4%)、カレン族(約6%)、モン族(約2.4%)と続きます。さらに、北西部のインド国境にチン族(約2.2%)、その南のバングラデシュ国境にロヒンギャ族、ラカイン族(約4.5%)となります(その他が5.6%)。
現在のミャンマーの領域は、ビルマ族の王が統治するコンバウン王朝が18世紀になってようやく完成させたものですが、それでもビルマ族が現在の領域すべてを支配していたわけではありません。
そのうえ、ビルマ族の支配地域においても、少数民族たちが属領であることを承認している限り、ビルマ族は干渉を避けて緩やかな統治を行なっていたために、少数民族の自立性は保たれていたといわれています。
ビルマ族と少数民族との関係に変化を及ぼしたのは、イギリスでした。1886年にミャンマー全土がイギリスの植民地となり、イギリスはその後50年以上統治を続けました。この間、イギリスはミャンマー統治のために、お得意の「分割して統治する(divide and rule):分割して対立させて統治する」という方法を採用したのです。
イギリスは軍や警察官として、とくにキリスト教徒に改宗したカレン族の人々を重用しました。これにより、ビルマ族は支配者から支配される側へとなったのです。そのため、ミャンマー独立後もカレン族とビルマ族の間の溝は埋まってはいないといわれています。
イギリスはカレン族だけでなく、軍や警察官として他の少数民族、シャン族やカチン族などを積極的に雇用していました。そのため、独立後に軍を作った際に、少数民族出身者を除くと、人口では7割を占めるはずのビルマ族が、軍内部では半数程度にすぎなかったそうです。
つづく