習志野市 歴史
古墳時代から平安時代
古墳時代は、弥生時代に生まれた各地域の政治的なまとまりの統合が進んでいった時代です。支配者たちの大型の墓である「古墳」が造られたのがこの時代の特徴です。市内には、鷺沼城址公園周辺に鷺沼古墳という古墳時代後期(6世紀後半)の古墳群があります。このあたりを支配した豪族の墓であると考えられます。もう少し古い時代では、実籾霊園遺跡などで石製模造品の工房の跡が見つかっています。石製模造品とは、やわらかい石で勾玉などの形を小さく模造したもので、副葬・祭祀に使われるものです。
奈良時代・平安時代には、JR津田沼駅の南側の台地を中心として集落の跡が確認されています。特に、平成19年度から平成25年度にかけて本調査が実施された(整理作業を含む)谷津貝塚では、7世紀末から10世紀前半にかけての拠点的な集落の跡が明らかになりました。二百数十年間に建てられた建物跡は、竪穴住居跡400軒以上、掘立柱建物跡200棟以上にのぼります。海に面する台地上に立地し、農耕と漁撈ぎょろう、さらに、ウシの飼育も行われていたようです。役所に関わる人間とのつながりも見られます。9世紀後半に集落は最盛期を迎え、鍛冶工房を伴う大型の掘立柱建物群が建ち並びます。墨書土器(墨でまじないなどの文字を書いた土器)を含む大量の土器が投棄される祭祀的な饗宴も行われていたようです。
つづく