船橋市 関東大震災の「朝鮮人虐殺はなかった」
「朝鮮人暴動」を伝える流言記事が「証拠」
前回の記事(1月19日「日本版『否定と肯定』裁判で問われた南京事件」)で、歴史学者がホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人虐殺)否定論者に訴えられたという実話に基づく法廷劇を描いたイギリス映画『否定と肯定』を紹介し、それを地で行くような裁判が、日本でも南京事件の生存者の証言をめぐって起きていたという話を書いた。
【写真9枚】1923年に起きた関東大震災。一部の地域では中国人労働者も襲撃対象となっていた。当時の現場近くで。
まともな歴史学の見地からは否定しようがない史実を史料の歪曲や曲解、果ては捏造によって否定しようとする試みを「歴史修正主義」と呼ぶ。歴史修正主義の内実がいかにデタラメでなものであるかを、私が身にしみて痛感したのは、自分の関心領域である関東大震災時の朝鮮人虐殺についての否定論について検証してみたときだった。
「朝鮮人虐殺などなかった」という主張は、2009年に出版された工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)に始まる。14年には加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック)という本が出ているが、これは実は、工藤氏の夫である加藤氏が前者にわずかに加筆して自分の名前で出した“改訂版”である。加藤氏によればもともと妻との「共同執筆」だったそうなので、ここでは著者名を工藤夫妻とし、2冊を合わせて「この本」とする。
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語が広がる中、自警団や軍の部隊によって多くの朝鮮人が虐殺された。ほとんどの中学教科書にも記述されている事件だが、工藤夫妻はこの虐殺を「なかった」と主張する。夫妻の主張は、朝鮮人独立運動家たちが震災に乗じて暴動を起こしたのは流言ではなくて事実であり、自警団の行動はこれに対する正当防衛だった、その事実が忘れ去られたのは、当時の政府が隠ぺいを図ったから――というものだ。
この驚くべき新説を、彼らはどのように証明するのか。彼らが示す“証拠”は、震災直後の新聞記事の数々である。そこには確かに、「不逞鮮人二千が腕を組んで横行」「二百人の鮮人抜刀して警官隊と衝突」といった、朝鮮人の暴動を伝える見出しが並んでいる。だが、これらは震災直後の混乱の中で出回った虚報・誤報であり、流言研究、メディア研究の対象となってきたものだ。虐殺関連の史料集などにも収められている。実際、工藤夫妻もそうした史料集からこれらの記事を探してきている。
震災直後は、在京の新聞社のほとんどが壊滅し、「朝鮮人暴動」だけでなく「伊豆大島沈没」「富士山爆発」「名古屋も壊滅」といった誤報も氾濫している。混乱が落ち着いたころには、それが虚報・誤報であったことは自明となった。富士山爆発も朝鮮人2000人の大行進も、結局、誰もその目で見たわけではなかったのである。後にこの時期の虚報の氾濫を、著名な新聞記者の山根真治郎は、「数えるだにも苦悩を覚える」と回想している(『誤報とその責任』、1941年)。
ところが工藤夫妻は、これらの記事を無前提に“事実”と認定した上で論を進める。もし、“これらの記事はこれまで言われてきたような誤報ではなく、実は事実を伝えていたのだ”と言いたいのであれば、まずはそのことを何らかの形で論証すべきだと思うが、そんな手続きは皆無である。
政府が真実を隠ぺいした?
また、震災後にまとめられた内務省や警視庁、司法省の震災総括文書でも、朝鮮人独立運動家のテロや暴動など存在しなかっと記されている。ところが工藤夫妻は、これに対して、“当時の日本政府が暴動を隠ぺいしたのだ”と主張する。
“政府の隠ぺい”の証拠として彼らが明示できるものは、しかし、たった一つの“証言”しかない。その内容は、当時の内務大臣・後藤新平が暴動の隠ぺいを内々に認める発言をしている/それを当時の警視庁官房主事であった正力松太郎が聞いた/ということを、戦後、ベースボールマガジン社の創始者である池田恒雄氏という人が正力から聞いた/ということを、池田氏から工藤夫妻が聞いた―というものだ。つまり直接には池田氏から工藤夫妻がそう聞いた、ということだけ。文字すら残っていないようだ。
大正時代の震災の話だというのに戦後の野球界から唐突に呼び出されるこの池田恒雄氏とは、いったい誰だろうか。工藤夫妻はこの本の中で一言も明らかにしていないが、なんと工藤美代子氏の実父(つまり加藤康男氏の義父)である。しかも池田氏はこの本が出る前に他界している。果たして、こんな話を“証拠”として受け取れるだろうか。
要するに、「朝鮮人虐殺はなかった」「自警団の正当防衛だった」という彼らの新説の証拠は、当時の流言を記録する史料としてよく知られてきた震災直後の新聞記事と、“私だけが聞いた、お父さんの一言”だけなのだ。まともな論理としては破綻している。
◆(略)と示さずに引用部分を切り刻む
私はさらに、この本の史料引用箇所を一つ一つ、原典とつき合わせてみた。すると、(略)とも示さないで史料を切り刻む、恣意的な切り取りによって原文の意図を正反対にする、出典元に全く書いてない内容を書いてあるかのように“紹介”する、統計の初歩的トリックで朝鮮人被殺者数を小さくしてみせる…といった問題点がいくつも明らかになった。ちなみに引用の省略については、凡例で「(略)と記した箇所以外にも読みやすさや紙幅の関係から省略した部分がある」と居直っている。紙幅の関係なら(略)と示せばよいだけだ。こんな凡例は見たことがない。
この本に散りばめられた多くのトリックを明らかにするために、私は相当な労力と時間を費やした。多くの読者は、本を読むときに、いちいちそのように調べてみることはないだろう。「そういう見方もあるのか」「そんな事実もあったのか」と納得してしまうかもしれない。この本はたいていの図書館に置かれているから、その波及効果は深刻だ。おそらく、歴史の他のテーマでも、似たような“手法”でつくられた本が何冊も出ているのではないだろうか。こうして日本社会の歴史認識がじわじわと“フェイク”に侵食されていく。歴史修正主義」の罪深さと怖さを身にしみて思う。
本日、船橋市西船自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
船橋市金杉船橋市立医療センターに通院治療をされ戻りました。